《苦難の思想・苦の哲学》
- 滋賀シルバーバーチ読書会
- 2017年4月1日
- 読了時間: 9分
一般的に「苦難や困難」は避けたいもの逃れたいものと思われています。そして人間を苦難や苦しみから救うことが宗教と考えている人もいます。しかし、シルバーバーチは「霊的成長」の観点から、「苦難は霊的成長を促してくれるありがたいもの」だから、「苦しみを甘受」することが正しい姿勢と繰り返し説いています。地上生活において生じる苦しみや困難は考え方を変えることによって“ありがたいもの”になることを説き、地上にいながら霊的視点をもって苦難に立ち向かうように教えています。シルバーバーチが説いている《苦難の意義》をまとめると次のようになります。
⑴カルマの清算 ⑵霊的覚醒 ⑶魂を鍛える ⑷愛の心を育てる ⑸霊界人との絆を深くする
苦難の意義[1] 苦難は前世でつくったカルマを償い清算する
地上人生で遭遇する大きな苦難は、前世でつくった「カルマ」(摂理違反)が原因となっています。カルマは“魂”を縛る足かせとなって霊的成長を妨げます。さらなる霊的成長をなすためには、カルマを償って清算しなければなりません。人間にとって霊的成長は宿命であり、「摂理」の働きによってカルマ清算の道が自動的に展開していくようになります。それが地上人生で味わうことになる、さまざまな苦しみや困難です。苦難の体験を通してカルマが償われると、霊的成長の道がリセットされることになります。
霊的成長は、霊主肉従の努力や利他愛の実践によって促されます。これは自ら霊的高みを目指す努力であり、「積極的な霊的成長のプロセス」ということになります。それに対して、カルマを償って霊的成長の足かせを取り除くことは「間接的な霊的成長のプロセス」と言えます。苦難を甘受することによって「カルマ」の清算が済むと霊的成長の道がリセットされ、再び高い世界へ向かって歩み出すことができるようになります。その意味で苦難の体験は霊的成長を促してくれる重要なプロセスであり、霊的成長のための不可欠な要素ということになります。
『いかなる大人物も自分の犯した過ちは自分で責任を取らねばなりません。各自が自分の人生への代価を自分で支払うのです。収支の勘定は永遠の時の流れの中で完全な衡平のもとに処理され、誰一人としてその法則から逃れることはできません。』(シルバーバーチの霊訓〈5〉P41/1~P42/3)
苦難の意義[2] 苦難は地上人の霊的覚醒を促す
地上人は、苦しみのどん底に立たされると、物質世界にはもはや拠り所がないことを実感するようになります。そして、おのずと霊的世界に意識が向くようになります。これが、窮地に立たされることによって得られる「霊的覚醒」です。死を前にして、それまで一度も神の名など口にしたことがなかった唯物論者が、神にすがるようになるのはそのためです。苦難の中で孤独な状態に置かれると、大半の人間はそれまで体験したことのない心境(意識状態)に至るようになります。人によっては、それを機に霊的世界に関心を抱き、再生前に決意した方向に自然と向かっていくようになります。
地上人生が自分の思い通りに順調に進んでいるうちは、誰も自らの生き方を深く反省することはありません。人生を根本からやり直したいと考えるようなこともありません。ところが、そうした人間も、苦難の体験によって“魂”が追い詰められ、逃げ場のない状況に陥ると、「霊的覚醒の時」を迎えることになります。そしてそれまでの物質的価値観から離れ、物質中心の生き方を反省するようになります。人間にとっての正しい生き方とは“物欲・肉欲”の満足を求めることではなく、「霊」を中心とした生き方であることを悟るようになるのです。地上人生において苦難に遭遇し、窮地に立たされる体験は、人間の意識を霊的世界・霊中心の生き方へと向かわせることになります。
『魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです
絶望の淵にいる思いがします。どん底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。』(シルバーバーチの霊訓〈10〉P23/5~8)
苦難の意義[3] 苦難は魂(心)を鍛える
世間でもしばしば言われることですが、苦しみや困難は人間の心を鍛え強くします。地上時代に強化された“魂”は、霊界に行ってからもそのまま維持されることになります。このように人間が物質世界に誕生する目的の一つは、「魂(心)を強化すること」にあります。
重い肉体を持ち、物質的な環境の中で「霊中心」の生活を送るためには自己コントロールの努力が不可欠ですが、それには大きな困難が伴います。しかし、そうした厳しい環境の中でこそ“魂”は鍛えられ、潜在能力が引き出されることになるのです。また、苦しみの体験を通して「霊的視野」が広がり、霊的観点から物事を考えることができるようになっていきます。こうした点からも、苦難は「霊的成長にとってありがたいもの」と言えるのです。
『私たちは地上人生を、地上的視点ではなく霊的視点から眺めます。賢明な人間とは、すべての体験を魂の養分として摂取しようとする人のことです。辛いことや煩悩の誘惑に流されず、心の奥深くにある霊的な力を活用して困難に立ち向かおうとする人のことです。そうした精神で臨んでこそ、人間性が磨かれ強化されるのです。』(シルバーバーチの教え〈上〉P161/1)
苦難の意義[4] 苦難は愛の心を深くする
地上生活で体験することになる苦しみの多くは、人間関係の中で生じます。地上は、人間関係のトラブルが次々と起きる所なのです。霊界では「霊的成長レベル」の等しい者同士が集まって霊的家族を形成し、共同生活を送っています。そこでは理想的な人間関係・愛の関係が出来上がっており、地上のようなトラブルは一切ありません。霊界では、「霊的成長レベル」に応じて生活場所が住み分けられているため、人間関係のトラブルは発生しないのです。
それに対して地上世界では、さまざまな「霊的成長レベル」の人間が同一平面上で生活しており、霊性の程度の異なる人間と常に顔を合わせなければなりません。そのため、霊界と違って地上では、人間関係のトラブルや衝突が生じるようになるのです。
一般的に地上世界では、霊的に成長している人間は、霊的に未熟な人間によって悩まされることになります。霊的未熟者(霊的子供)はエゴ性が強く、自己主張をするからです。未熟な人間は自分中心の発言をし、自分勝手な行動をします。相手に対する気遣いや思いやりがありません。そのため霊性の高い者は、常に忍耐力と寛容性を要求されることになります。
地上世界では“霊的大人”から“霊的子供”まで同居しているため、絶えず愛の問題が発生します。そうした場所で利他愛を実践するには、大変な苦労と忍耐が必要となります。人間は、地上世界という厳しい環境の中で利他愛の実践をすることによって、基本的な霊的成長を達成していくようになっているのです。
愛の世界を築くことに困難が伴う地上世界において、利他愛の実践する努力を通して、“愛の心”が深くなっていきます。愛の問題で苦悩し、それを乗り越えることによって同情心が養われ、霊的観点から相手に臨むことができる広い心が培われるようになります。魂に“真実の愛”が宿るようになるのです。
『世の中には、ここに集える私たちに比べて精神的・霊的な豊かさに欠ける人がいます。そういう人々に愛の手を差しのべる仕事は、あなた方の霊性が向上するほど大きくなっていきます。絶望の淵に落ち込んだ人を励まし、病める人にはいかなる病にも必ず治す方法があることを教え、あるいは地上を美しく栄光ある世界にするために、霊力の流れを阻害している誤謬と迷信、腐敗した体制を打破していく、その基本的足場としての永遠の霊的真理を説くことが必要です。』(シルバーバーチの霊訓〈1〉P100/5~10)
苦難の意義[5] 苦難は霊界人との霊的絆を強くする
スピリチュアリズムは、霊界のイエスを中心とする高級霊たちによって進められている「地球人類救済計画」です。スピリチュアリズムを推進する高級霊たちは、ひたすら地上人の救いを願う純粋な利他愛から、すべてを犠牲にして献身的に働いてくれています。また、私たち地上人それぞれの背後には、生まれてからずっと守り導いてくれている守護霊がいます。守護霊にも私利私欲は一切なく、私たちの霊的成長を願って最大限の努力を続けてくれています。
私たち地上人が、スピリチュアリズムのために働く高級霊や守護霊と思いを共有して人類への奉仕に励むとき、そこで体験する苦難は私たちと霊界の人々の心を強く結びつけることになります。私たちは地球の同胞の幸せのために働くことによって、これまで自分を導いてきてくれた霊界人と同じ苦労を体験し、高級霊や守護霊の愛と心情を実感できるようになります。高級霊や守護霊は、今私たちが味わっている何倍、何十倍もの苦しみに耐え、一人一人のために常に愛を注いできてくれました。それを考えると、心の底から感謝の思いが沸き上がってきます。こうして霊界人と地上人との絆が深められていくことになるのです。
霊界人との絆が強固なものになればなるほど、霊界から地上に向けて、よりいっそう強力に働きかけることができるようになります。霊界の人々の影響力が増大するにともない「霊界の道具」である私たちも、スピリチュアリズムのためにさらに大きな奉仕ができるようになるのです。
『時には万策尽き、これにて万事休すと諦めかけた、その最後の一瞬に救いの手が差し伸べられることがあります。霊的知識を授かった者は、いかなる苦境にあっても、その全生命活動の根源である霊的実相についての知識が生み出す内なる冷静、不動の静寂、千万人といえども我行かんの気概を失うようなことがあってはなりません。その奇特な意気に感じて訪れてくるのは血のつながった親類縁者ばかりではありません。あなた方が地上という物質界へ再生してくるに際して神からその守護の役を命ぜられ、誕生の瞬間よりこの方ずっと見守り指導してきた霊もおります。そのおかげでどれほどの成果が得られたか、それはあなた方自身には測り知ることはできません。しかし、分からないながらも、その体験は確実にあなた方自身の魂と同時に、あなた方を救ってあげた人々の魂にも消えることのない影響を及ぼしております。そのことを大いに誇りに思うがよろしい。他人への貢献の機会を与えて下さったことに関し、神に感謝すべきです。人間としてこれほど実り多い仕事は他にありません。』(シルバーバーチの霊訓〈1〉P113/6~P114/4)
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