死の直後
すべての人間が死を迎えます。死から逃れて肉体を持って永遠に地上に生き続けることは不可能です。誰もがその事実を認めますが、死そのものを考え死後の知識を持っている人は少数です。地上生活において知らなくても不便がないからです。しかし、いざ死を迎えた時どうなるでしょうか。何の知識も備えもない人はどうなるのでしょうか。死の自覚のない人、自分が死んだことに気が付かない人や認めようとしない人が多くいます。死の自覚は重要なことです。
◆死の直後(死の瞬間から幽界まで)の全体図
混乱状態 〈1〉
死の瞬間 → 死の眠り → 死の眠りからの目覚め ・・・・ 死を頑なに否定…地縛霊 〈2〉
(その後、3つのケースに分かれる) 死を自覚 〈3〉
〈1〉大半の地上人(霊的無知な一般人) 死の自覚(×)
〈2〉唯物論者や間違った宗教の狂信者(地縛霊) 死の自覚(××)
〈3〉生前から霊的事実を知っている人(スピリチュアリスト) 死の自覚(○)
〈1〉大半の地上人 〈2〉唯物論者や間違った 〈3〉生前から霊的事実を
霊的無知な一般人) 宗教の狂信者(地縛霊) 知っている人
(スピリチュアリスト)
混乱状態 死を頑なに否定 死を自覚
↓ ↓ ↓
調整期間(休息所での眠り) (地縛霊) 他界者との再会
↓ ↓ ↓
死の自覚(霊的覚醒) 地上生活の継続 直接幽界へ行くか または、
↓ (地縛霊が集まり悪事を働く) 短い調整期間を経て幽界へ
他界者の出迎え ↓
↓ 心の痛み。苦しみと反省
再び調整期間 ↓
↓ 調整期間(長い眠り)
幽界へ ↓
死の自覚(霊的覚醒)
¦
¦
幽界へ
3つのパターンを比較してみると、死後の世界がある、霊的事実を知っているかいないかで、これだけ幽界へ行くまでのプロセスが違ってきます。幽界へ行くまでのかかる時間も当然違ってきます。
一人ひとりの霊的内容によって、死後のプロセスはさまざまになるが、〈1〉大半の一般人は、以下のような共通の体験を経ることになる
①死の瞬間
・シルバーコードが切れる、死の眠りにおちいる、本人には苦しみはない(全身麻酔をかけられた状態)
シルバーコードは、ハサミやナイフで切るように、スパッと切れるわけではありません。普通は伸び
たり縮んだりしながら、徐々に細くなって切れていきます。シルバーコードが切れるときは、大半の人
は意識を失い深い眠りの状態に入ります。全身麻酔をかけられたような状態と考えたらよいでしょう。
シルバーコードが切れる際には、霊界の霊たち(*その多くが、地上時代に本人と深い関係にあった家
族や知人など)がコードを切り離す手伝いをします。もし、そうした人々の手に負えないようなときに
は、霊界にいる専門の医師が立ち会って手助けをすることになります。実は死者の霊体を肉体から離れ
させるには、かなりの技術が必要とされます。霊体と肉体との間には、クモの巣のようなネットワーク
が張りめぐらされています。2本の太いシルバーコードは、その中で特別なものです。それらを穏やか
に切断してあげないといけないのです。病死の場合であれば、時間をかけて1本ずつ切り離していくこ
とになります。急激に切断すると地上人の霊的意識にショックを与えるようになり、その後の幽界での
生活に、わずかですが障害をもたらすことになるからです。
②死の眠りからの目覚め
・地上人が見えたり、自分の遺体が見えたりする
・時には、すでに他界した知人がぼんやりと見えることもある
・さまざまな変化に驚き混乱し、死んだことに気付かない 〈1〉〈2〉のケース
・生前から霊的知識を知っていた人は、目覚めとともに自分の死を自覚する 〈3〉のケース
シルバーコードが切れると、霊体だけになった人間は、いよいよ地上を離れ霊界(幽界)に入ることになります。
その際、人の心がさまざまであるように、死んで霊界に入るまでのプロセスも一人一人異なります。ここでは、ごく
普通の“善人”と言われる人の死の直後の様子を見ていきます。
深い眠りに落ちた後、シルバーコードが完全に切れて霊体と肉体が分離すると、やがて本人は麻酔から醒めるよう
に目を覚まします。目覚めるまでの時間は、人によって異なります。(*いつまでも目覚めることなく暗黒の境涯に
堕ちていく者がいる一方で、反対にほとんど眠りのプロセスなくして霊界入りする人もいます。)
死の眠りから目覚めると、ある人はぼんやりした意識の中で、自分とそっくりの人間がベッドに横たわっているの
が見えます。人によっては、あまりにも自分に似ている人間を見て驚きます。さらに不思議なことに、先程まで自分
の病室に集まり、最後の別れをしたはずの家族や親戚の人たちの泣いている姿が見えます。そこで「私はここにいる
よ!」と大きな声で叫ぶのですが、その声はいっこうに伝わりません。それでその人たちの肩を叩いたりするのです
が、全く気がついてくれません。周りの人たちは皆、自分がそこにいることが分からないのです。
大半の人間はこうした状況に非常に戸惑い、不安に駆られ、混乱するようになります。自分を取り巻く様子に大き
な不安を抱き、動揺するようになります。「自分の頭がおかしくなったのではないか?夢を見ているのではない
か?」と混乱状態に陥るのが普通です。(*しかし生前、死後の世界があることを信じていた人は“自分は死んだの
かもしれない”と気がつくようになります。)
やがてそうこうするうちに、すでに死んでいるはずの人たちが現れることもあります。10年前に死んだ父親、2
年前に死んだ妹も現れます。そうした縁者たちに――「あなたは、もう死んでいるのですよ」と教えられ、「ひょっ
としたら自分は死んだのかもしれない」と思うようになります。
このようにして少しずつ「死の自覚」が芽生えるようになります。
『地上人類への最高の福音』P34/10~P35/2
『シルバーバーチの教え(上)』P195/2~4、P188/後ろ1~P189/4
③調整期間
・死後の最初の調整は、休息所での眠りを通してなされる
・地上的雰囲気から隔離し、霊的雰囲気・霊的大気になじませていく
その中で霊体を霊的世界に適応させて、霊的意識を目覚めさせることを目的とする
・死を自覚した後にも、人によってはさらなる調整が必要になることもある
その際も休息所・病院のようなところで、眠りの時を過ごす
この時、多くの人が地上人生を振り返ることになる(死後の審判)
親族や知人たちの歓迎を受け、しばらく彼らと対話をした後、出迎えにきてくれた中の一人(*地上時代の守護霊ま
たは知人が多い)に連れられて休息場所に行くことになります。そこで安らかな半睡眠状態で、休息をとるのです。
死んで間もない新参者は、いまだ地上の波動を持ち続け、すぐに霊界になじむことができません。そのため休息所
で、自分の身体や精神を霊界に適応させるための調整が行われることになるのです。その間に、霊体にまとわり付く
ように残っていた「幽質接合体」の残滓(ざんし)は脱ぎ捨てられ、霊体(幽体)だけの存在になっていきます。
もちろん自分の死をすぐに自覚できるような人、あるいは生前から死後の世界の存在を知り地上にいながら霊的な歩
みをしてきた人の場合は死後、休息所での意識と身体の調整は必要ありません。
休息場所ではこうした適応プロセスが進行する一方、半醒半睡(はんせいはんすい)の状態(まどろむような状態)
の中で、地上時代の自分の歩みを回顧することになります。自分の目の前に、地上時代のさまざまな出来事が、映画
のスクリーンのように展開していきます。その中にはすでに忘れていた出来事も含まれています。地上でなした行為
が洗いざらい示され、より高い指導霊のインスピレーションの影響を受けながら見つめ、地上時代のすべての行為を
自ら査定することになるのです。
これが「幽界での審判」と言われているものの実際です。
そこでは「霊的法則」の働きによって、自分で自分を審判し裁くことになります。他の霊が審判し裁くのではありま
せん。地上の裁判のような討議も証拠提出も、一人一人に対する査問などという手間もなく、地上時代のもろもろの
行いの霊的価値がひとまとめに明らかにされ、即座に結果が出るようになっています。しかも地上とは異なり、一切
のごまかしや言い訳が効かないのです。何が間違っていたのか、どうすればよかったのか、といったことが明瞭に分
かるようになります。
霊界(幽界)の審判では、自らが裁判官となって、自分で自分を裁くことになりますが、そのときの判決の基準は
――「地上で何を行ったのか、世の中のためにどれほど自分を役立てたのか」ということです。まさに地上での「利
他的行為」が判決の基準となるのです。地上人生を物質欲や自分中心のエゴに巻き込まれることなく無欲に生きた人
は、自分の地上人生がいかに価値あるものであったのかを実感し、感謝の思いに打たれるようになります。
*従来の宗教で言われてきた“閻魔大王による裁き”というような事実はありません。先入観にとらわれた霊能者
が、あの世の閻魔による審判があるかのように言うことがありますが、それはすべて自分自身の想念の世界での
出来事を事実と錯覚したものです。
『シルバーバーチの新たなる啓示』P214/5~後ろ1
『シルバーバーチの教え(上)』P195/5~6、P188/4~1
④死の自覚と霊的覚醒
・自分が死んだことを自覚(認識)できるようになる
→ 地上を卒業して霊界に入ったことと、霊界の住人になったことを受け入れられるようになる
→ 霊的意識の目覚め(霊的意識の覚醒)が起こる
※(スピリチュアリズム普及会・ニューズレター 39号)
死から「死の自覚(霊的意識の覚醒)」までの時間は、人によってさまざまです。霊格や知識・地上での習性によっ
て、時間が長くなったり短くなったりします。死の自覚ができると同時に「霊的意識」が芽生え始めるようになりま
す。「死の眠り」から覚めても、混乱状態がひどかったり、なかなか死を自覚できないときには、再び死の眠りを継
続するような状態に置かれます。眠りを通して、調整と自覚が促されることになります。
地上人生をあまりにも利己的・本能的に過ごしてきた人間の場合、「死の眠り」から直接、暗黒の境涯に堕ちていく
ことがあります。これは地縛霊の1つのケースですが、この問題については別の機会に取り上げます。それとは反対
に、ほとんど眠りのプロセスを経ずして幽界を通過し、霊界入りする人間もいます。これは霊格・霊性のきわめて高
い人間(*イエスのような)の特殊なケースです。
⑤他界者との再会と喜び
・死を自覚して霊的意識が覚醒すると、霊的視野(霊的能力)が開けるようになる
→ すでに他界している知人・家族が現れる(出迎えを受ける)
→ 再会の喜びと感激 → 幽界へ(新しい生活の始まり)
※(スピリチュアリズム普及会・ニューズレター 39号)
死の自覚が芽生え始めると、すでに他界している親族や兄弟・知人が目の前に現れるようになります。実はこうした
親族たちは、死に際してずっと付き添い、新しく霊界入りするための手伝いをしてくれていたのです。本人に死の自
覚が生まれると「霊的視野」が開け、周りにいた人々の姿が見えるようになるのです。死後、自分が死んだことに気
がつくと、喜びの時が訪れます。すでに亡くなっている人たち、自分と親しかった人たちが大勢集まり、自分の霊界
入りを心から歓迎してくれる「最も感激的な再会の体験」をすることになります。霊界では地上の縁者・知人の死
は、正確に知られるようになっています。死の時が近づくと、地上人を迎えに幽界まで降りることになります。
霊たちは一時的に、どのような姿形(すがたかたち)をとることもできます。それによって新たに霊界入りした者に
身元を知らせることができるようになります。地上で幼くして亡くなり、親よりも先に霊界に入った子供は、その母
親が霊界にきた時には、一時的にかつての子供の姿で現れます。母親はそれによって間違いなく、我が子を認識する
ことができるようになります。このため霊界での再会においては、何の問題も生じません。
以上のようなプロセスで霊界に入っていきます。
調整のための時間や回数はその人その人によって異なりますが、プロセスは同じで共通の体験します。
ここ幽界での目的は、“死の自覚”と“霊体の調整”です。
霊的知識のない人とある人の差が大きな影響を及ぼしていることがわかります。