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宿命・運命とは

​挫折や病気や人間関係など自分に起きる苦しみは、できることなら避けたいと多くの人は思う。

しかし、地上人生で絶対に避けられない出来事はある。

それを宿命・運命という。

宿命・運命とは摂理や因果律の影響・働きによるものであり、人間の都合で変更・放棄はできない

では、宿命・運命とは何か…… ①今回の地上人生の課題(成長するために必要な体験)

               ②前回の地上人生での課題のやり残した再体験

               ③カルマの解消

地上に誕生する前に決められている。

神が勝手に「この人にはこの体験を」と決めているのではなく、

自分自身が自分の成長のために決意し選択した体験=宿命や運命になる

  ①環境の激変 ②人間関係の苦労 ③金銭トラブル ④失敗や挫折 ⑤誘惑 など

〈 宝くじにあたり、突然大金を手に入れることは幸運?〉

  地上的感覚では大金=大変幸運   

  大金を前にすると誰もが私利私欲に走ってしまい、利他的になることが大変難しい

  霊的には=誘惑に対する厳しい試練に立たされる  ⇒手にした大金をどう使うか試されている

    自分の欲望を満たすために利己的に使う

    自分より恵まれない人のために利他的に使う

  利他的な反応をするのか利己的な反応をするのか、これは個々の自由意志に任されている。

  すべての出来事に自分がどう対処するのか、日々自由意志で自分の行動を決定しているが、

  この自由意志の 選択が霊的成長に大きく影響している。

◆『シルバーバーチの霊訓 (9)』P.132/5~P.133/2

 質問: 宿命というのは地上生活の中でどの程度まで働いているのでしょうか。そもそも宿命とは何かをご説明ねがえますか。先天的宿命というのは外部の力なのでしょうか、それとも自分で選んだものなのでしょうか。あなたは再生説を説かれますが、それはなぜなのか、どういう意義があるのか説明してください。

「それはどちらでもあります。ある種の外部の力があなたにその道を選択させたということです。

あなたには自由意志と同時に宿命もあります。もしも地上人生とは物的生活を総合したものだと考え、それで満足できる人は、それはそれでよろしい。が、現在のその肉体に宿っている霊---必ずしも同じ側面とはかぎりません---が以前にもこの地上で生活したことがあることも考えられます。あなたは一個の大きなダイヤモンドの数ある側面の一つであって、各々の側面が全体の進化のために異なった時代にこの物質界へ顔を出していることも有りうるのです。」

宿命とは何か…宿命は“外部の力”と“本人の自由意志”

“外部の力”=摂理の働きにより起きるべくして起こることが宿命である

“本人の自由意志”=生まれる前に自分で納得し決定していること、

 自由意志の行使には限界があり、摂理には逆らえない、変更できない

◆『シルバーバーチの霊訓 (1)』P.71/9~11

「すべての魂がそうであるように、あなたの魂も、地上でいかなる人生を辿るかを誕生前から承知していたのです。その人生で遭遇する困難、障害、失敗の全てがあなたの魂を目覚めさせるうえでの意味を持っているのです。」

本人の意思が原則尊重 … 霊界で守護霊や指導霊と相談

その人に必要な経験であり、かつ本人の希望する経験が予定されている。

・思い通りにいかない人生の試練なのか(苦しみの甘受)

・金持ちとなり金銭の誘惑にさらされるのか(利己心との闘い)

・物質的な成功者→×モノや地位や名誉に溺れる

         ○謙虚さを忘れずにいられるのか(利他愛の発現)

◆『シルバーバーチの霊訓 (10)』P.19/後ろ4~最後

「人間の一人ひとりに神の計画があるのです。偶然の事故、偶然のチャンス、偶然の一致というものはありません。すべてが大自然の摂理によって働いており、そこには奇跡も摂理への干渉も有り得ません。摂理そのものが完璧にできあがっているのです。なぜなら完全な叡智によって生み出されているからです。」

偶然の事故はないと言うが、ここにも複雑な摂理が絡み合っている。

(宿命)として約束された出来事は必ず起こる。

そこにも偶然はなく、人間には計り知れない摂理が働いている。

◆『シルバーバーチの霊訓 (12)』P198(55)  「人生には目的があります。しかしそれは当事者が操り人形でしかないほど融通性のないものではありません。笛に踊らされる人形ではないのです。人間の一人ひとりに神の分霊が宿っており、一人ひとりが無限の創造活動に参加できるのです。つまりあなたには個的存在としての責任と同時に、ある一定限度内での自分意志が与えられているのです。自由といっても、大自然の法則の働きを阻止することができるという意味ではありません。限られた範囲内での選択の権利が与えられているということです。運命全体としての枠組みはできております。が、その枠組みの中であなたが計画された予定表に従いながらどれだけ潜在的神性を発揮するかは、あなたの努力次第ということです。」

・偶然がないこと         

・一人ひとりに神の計画がある   

  (成長が計画されているのではなく、成長するための体験や出来事が計画されている。)

◆『シルバーバーチの霊訓 (9)』(P. 212/-213  「ひじょうに難しい問題です。というのはアクシデントという言葉の解釈次第でイエスともノーともなるからです。動機も目的もない、何かわけの分からない盲目的な力でたまたまそうなったという意味であれば、そういうものは存在しません。宇宙間の万物は寸分の狂いもなく作用する原因と結果の法則によって支配されているからです。  ただ、その法則の範囲内での自由意志というものが許されております。が、その自由意志にもまた法則があります。わがまま勝手が許されるという意味ではありません。したがって偶発事故の起きる余地はありません。偶発のように見える事故にもそれなりの原因があるのです。ぜひ知っていただきたいのは、法則の中にも法則があり、その裏側にも法則があり、それぞれの次元での作用が入り組んでいるということです。平面的な単純な法則ではないのです。  よく人間は自由意志で動いているのか、それとも宿命によって操られているのかという質問を受けますが、どちらもイエスなのです。問題は解釈の仕方にあります。」

人間の人生すべてを神が計画しているのではなく、出来事とそこから得る学びやカルマの解消を最終的に決定しているのは本人の自由意志である。

宿命として体験する内容は、おおまかに計画されているだけ。

◆(『シルバーバーチの霊訓 (10)』P.53 「― 偶発事故による死があるとなると再生の事実を受け入れたくなります。  偶発事故という用語は感心しません。私は因果律の働きしか知らないからです。偶発のように思えることも、ちゃんとした因果律の働きの結果なのです。再生の問題ですが、これは大へん複雑な問題で、今ここで十分な説明をする余裕がありません。 因果律も摂理の一つ。複雑な問題とは、いくつもの摂理が常に関わっており、人間に理解できない領域も含まれるから。」

◆『シルバーバーチの霊訓(4)』(P.84/2~85/3)

「― 航空機事故のような惨事は、犠牲者及びその親族が業を消すためなのだから前もって計画されているのだという考えは、私にはまだ得心がいきませんが・・・・。

 ご質問はいろいろな問題を含んでおります。まず”計画されている″という言い方はよくありません。そういう言い方をすると、まるで故意に、計画的に、惨事をひき起こしているように聞こえます。すべての事故は因果律によって起こるべくして起きているのです。その犠牲者---この言い方も気に入りませんが取り敢えずそう呼んでおきます---の問題ですが、これには別の観方があることを知って下さい。つまり、あなたがたにとって死はたしかに恐るべきことでしょう。が私たち霊界の者にとっては、ある意味でよろこぶべき出来ごとなのです。赤ちゃんが誕生すればあなたがたはよろこびますが、こちらでは泣き悲しんでいる人がいるんです。反対に死んだ人は肉体の束縛から解放されたのですから、こちらは大喜びでお迎えしています。次に、これはあなた方には真相を理解することは困難ですが、宿命というものが宇宙の大機構の中で重大な要素を占めているのです。これは運命と自由意志という相反する二つの要素が絡み合った複雑な問題ですが、二つとも真実です。つまり運命づけられた一定のワクの中で自由意志が許されているわけです。説明の難しい問題ですが、そう言い表すほかにいい方法が思い当たりません。」

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