神の認識と認識能力
神の認識と認識能力
なぜ神の存在を信じられる人と信じられない人がいるのでしょうか。
神を実感できることに個人差があるのはなぜなのでしょうか…。
神を実感できるようになれば、自分が神に愛されていることを感じられるようになります。
そうなれば、神が造られた摂理に適った生き方を当然選ぶようになります。
神を知る上で、神を実感することはとても重要です。
一人でも多くの人に神の存在を実感してほしいと思います。
◆神認識とは…
(神を知ること、神を理解することです)
・スピリチュアリズムは、神の存在を厳然たる事実とします。
(神の存在なくして人間も宇宙も何も存在しません)
・神認識の違いは、知性や理性ではなく認識能力の違いです。
(理性・知性による理解だけでは本当の神認識はできません。真実の神を理性で理解しても、
どうしても神との間に距離ができます。 神の存在を身近に感じることができません)
・神の実感が、神認識のバロメーターになります。
(神の存在を実感できるとそれは強烈な刺激となります。そして、その刺激は信仰につながり、神の造
られた摂理に適った歩みの実践に進むことになります。理性・知性の理解に実感をともなって神認識
の真実度が深まっていきます。神認識にとって重要なのは、神を実感できるかどうかです。実感のと
もなった真実の神認識は人間の意識に大きな変革をもたらし、人生の中心に神を置くようになります)
◆神認識能力とは…
(大自然を目の前にした時、一人ひとり感じることは違います。ただきれいと思うだけか、その自然の中
に特別な存在を感じ感動するかなど、思いの深さに違いがあります。それが認識能力の違いです。)
・“霊的直感”(霊的感性)こそが最高の神認識能力です。
(霊的直感力は霊体に備わっている能力のひとつです。しかし、それは一般的な霊媒能力である霊視や
霊聴などとは次元の違う能力です。霊媒能力はその本人の霊性レベルの程度に関係なく、その人の霊
性レベル応じたものが引き寄せられます(高い霊性の人には高い霊性のインスピレーション、低い霊
性の人には低い霊性のインスピレーション)が、神を認識できる霊的直感は低い霊性では持つことが
できません。)
・“霊的直感”を高めるには〈瞑想・祈り〉が効果的です。
(肉体を持って地上に生きる私たちは、自分の本体=霊は肉体に閉じ込められています。そのため霊
的直感で神を認識できる人間はほとんどいません。霊的真理を受け入れるよりも難しいことかもわ
かりません。しかし、能力を開発・発揮できるようになる道があります。それが、瞑想と祈りです
ただし、正しい瞑想・正しい祈りが大前提です。正しい内容でなければ効果も価値もありません。
どの宗教においても祈りや瞑想を実践してきたのにも理由がありました。それは、今では実践内容
が変わってしまいましたが、祈りや瞑想が神と向き合う霊的な行為という認識が宗教にもあったと
いうことです。)
「天と地が融合した極限の瞬間――あっという間の一瞬でありながら、すべての障壁が取り除かれた時、
人間は自分本来の霊性を自覚します。すぐその束縛を押し破り、霊の本来の感覚であるところの法悦(エ
クスタシー)の状態に達するのです。」
『地上人類への最高の福音』P133~P134
「祈りとは、本来、波長をふだんより高めるための霊的な行為です」
『霊的新時代の到来』P173
「祈りには、目的があります。魂の開発を促進するという霊的な目的です。(中略)祈りとは神性の一か
けらである自分がその始源とのいっそう緊密なつながりを求めるための手段です」
『シルバーバーチの霊訓(7)』P205
「(〝あなたはなぜ神に祈るのですか〟と問われてシルバーバーチは〝祈り〟の本来のあり方について次
のように述べた) それは、私に可能なかぎり最高の〝神の概念〟に波長を合わせたいという願いの表れなのです。(中略)
祈りとはわれわれのまわりに存在するより高いエネルギーに波長を合わせる手段だからです。その行為に
よってほんの少しの間でも活動を休止して精神と霊とを普段より受容性に富んだ状態に置くことになるの
です」
『シルバーバーチの霊訓(7)』P198
◆霊界人と地上人の神認識の違い
・地上人には持てない〈実感的神認識〉を霊界人は皆持っています。
(肉体を持たない霊界人は、神との実感的交わりをごく普通に持っているため、神の存在を否定したり
疑う霊はいません。※幽界ではまだ地上的思考が残っているため神認識はできません)
・霊界人はすべて敬虔な神信仰者です。
(霊界では私たちの想像以上に、神の存在を誰もが認め神に対する崇拝は当たり前で、生活そのものが
信仰となっています。地上では神に奉仕する人生は世捨て人のように受け取られ喜びの少ない人生と
多くの人が思いますが、霊界では真逆です。高級霊界(高い界層)ほど神の意志に沿った生き方を実
践しており、神の実感度は増し深い理解ができ神の愛をひしひしと感じることができます。それは、
幸福度が高いということです。
「神への信頼があまりにも実感あふれるものであるため、あえて思案をめぐらす必要を感じません。
我々は神のために生き、神に向かって生きています。神の意志を知り、それを実践しようとします。そう
することが、己のみならず、すべての創造物に対し、何らかの貢献をすることになると信じているからで
す。またそうすることが、神に対する人間としての当然の敬意を表明することであり、神が善しとされる
唯一の献上物であるからです。我々は神を敬愛します。神を崇拝します。神を敬慕し、神に絶対的に従い
ます」
『霊訓(下)』19節P31~P32
<ポイント>
①最高の神認識は、霊体に属する「霊的直感力」によって可能になる
霊的直感によって神を実感的に認識することができるようになる
②肉体を持った地上人が、その霊的能力(霊的直感力)を発揮して実感的神認識をすることはめったにない
③霊的直感力を発揮して神の存在を実感するためには、「瞑想・祈り」を通して外部から霊的エネルギーを
意識的に取り入れなければならない
④実感的神認識能力(霊的直感力)には、大きな個人差がある
⑤肉体を持たない霊界人は、日常的に「真の神認識体験(実感的神認識体験)」を持っている
⑥そのため霊界人は、地上人とは比較にならないほど神について深く理解できるようになっている
◆霊界人における神の実感と霊的真理の関係
・理屈をこえた神の実感を持っています
(神を知っている、神を理解しています。心の奥深くからストレートに神を実感しています。)
・霊界における神認識は、神の存在の実感と神の理論的理解が常に一体化しています
(自然と神の存在を実感できるため、地上のように意識的に神についてを理論的に学んだり神認識の
ための努力は必要ありません。)
・霊界人は、神についての基本的理解と見解が一致しています(霊性の違いによって理解度はさまざま)
(地上では宗教の数だけ神の姿がありますが、霊界では皆が真実の神しか実感しないので、共通の神
しか存在しません。)
◆スピリチュアリズムにおける理性と神の実感の関係
・地上では神の存在の実感と理性的理解はほとんど同時にはされません
(地上では実感できないから、勝手に人間的な感情を持った神をさまざまな宗教が作り上げてきました)
・霊界人に共通する神観の基本的内容を教え、地上人に神を正しく理解させることが目的です
(霊界の宗教を地上に広めるには正しい神観の理解が必須です。)
・神の造られた〈摂理〉は地上人にとって唯一理性によって神の性質・内容を直接的に神認識が
可能になります
(人間にとって通常意識で唯一神を認識できるものが、神の造られた摂理・自然の摂理です。
摂理を理解するということは、神の一部(神の知性)を理解することになります。)
シルバーバーチをはじめとする高級霊たちは皆自然界の中に神を認識できると言っています。
摂理の理解、神の存在の認識を深めたければ、祈りと瞑想が必要とも高級霊は説いています。
(静かな場所で一人でただ心を鎮めるだけでもいいのです。)
「大霊は無限の叡智であり、無限の愛です。我々の理解を超えた存在です。が、その働きは宇宙の生命
活動の中に見い出すことができます。」
『霊的新時代の到来』P198
「その姿を拝したことはありません。(中略)しかし拝したことはなくても、我々はその御業を通して
奥知れない完璧さをますます認識しています。その力、その叡智、その優しさ、その愛の偉大さを知る
ばかりなのです。」
『霊訓(下)』19節P30~P31