摂理観 2
摂理観(2)
なぜ神は摂理を創ったのでしょうか。
神は人間を一人ひとりイメージし自分の分霊を与え創造しました。
人類という塊や集団ではなく、一人ひとりを認識されて創りました。
そしてすべての人間が幸せになるようにと、公正平等に働く摂理によって人間を支配管理されました。
行為によって自動的に働く摂理は誰に対しても同じ結果をもたらします。
国籍、性別、貧富、地位、など関係なく原因に対し平等で公平な結果をもたらします。その摂理の働きには、特別扱いや奇跡やえこひいきはありません。
摂理の前では、すべての人間が公正平等になります。神の愛が等しく皆に注がれています。
◆神が創られたさまざまな摂理(法則)
1)神の創られた摂理(法則)には、さまざまな次元のものがあります。
人間を支配している摂理もさまざまで、それらが重層構造を形成しています。
物質的(地上や宇宙)・精神的・霊的なものや、低い次元から高い次元のものがあり、
それらが重なり絡まり合い一つまとまり調和しています。
宇宙・霊界・地上・人間・動植物などすべての被造物に対し、それぞれに調和した摂理が
用意されています。
人間を例にとってその調和した摂理をみていきます。⇒ 『人間を存在させる法則』です。
人間は肉体を持って物質世界に存在すると同時に霊的存在でもあります。
それは、「物質次元を支配する法則」と「霊的次元を支配する法則」という2つの
摂理が人間に働くということです。
人間界は物質的な次元の低い法則から霊的な高い次元の法則のに支配されています。
私たちの構成要素は、物質があつまり肉体を形成しています。
その肉体と同じ形をした霊体がありさらにその内部に霊の心が霊より発しています。
このように、物質⇒肉体⇒霊体⇒霊の心⇒霊(神の分霊)の5つから成ると考えられます。
1.私たち人間の肉体はまず皮膚や髪の毛といったさまざまなものが集まっています。
物質に働く法則に支配されています。→ 物質界を支配する法則です。
(物質界すべてに働きます)
2.物質である肉体が活動できるのは、生命素を含んでいるからです。
生命体に働く法則に支配されています。→ 生命体を支配する法則です。
(動物界、植物界、生物界それぞれに法則があります)
3.死後霊界で使用する身体のことを霊体(霊的身体)といいます。
霊的身体を支配する法則
4.霊の心に働く法則 → 精神的法則
5.霊に働く法則 → 霊的法則
今の地上の科学が明らかにしている法則は、あくまでも物質次元の法則(物質的法則)
だけに限られています。
それもまだごく一部です。人間の体内のネットワークや自然治癒力の驚異の法則を発見し
ても、その仕組みを科学で解明できないことがたくさんあります。
それは、神の創った法則を見つけられないからです。
霊的次元を支配する法則を否定していては、生命を支配する法則は見つけられません。
再現性のあるものを科学はその存在を認めますが、証明できないものは扱えないのです。
五感だけがすべてと思っている限り生命の法則も霊的な存在の理解も無理です。
全生物の生態・地球自体の法則(地球内部や自転・公転の理由)などは、全知全能の神が
創ったからこそ、複雑な法則で存在し規則正しく運行できています。
その神の存在を否定していては生命のことは理解できません。
「あなたが生き、呼吸し、考え、反省し、判断し、決断を下し、あれこれと思いめぐらすのも
霊の力があればこそです。物を見、音を聞き、動き回り、考え、言葉をしゃべるのも霊の力
があればこそです。あなた方の行動の全て、あなた方の存在の全ては霊の力のおかげです。
物質界のすべて、そしてその肉体も、生命力にあふれた霊力の流入によって存在と目的と指
針と生活を与えられているのです。物質界のどこを探しても意識の秘密は見つかりません。 科学者、化学者、医学者がいくら努力してみたところで、生命の根源は解明されません。
それは物質その物の中には存在しないからです」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.170/LB6~P.171/1
「法則にも、次元の違いによっていろいろあります。物的次元のもの、精神的次元のもの、霊的
次元のもの、さらにはそれらが入り組んで作用する場合もあります」
『シルバーバーチの霊訓(9)』P.51/LB4~LB3
2)神の被造物・被造世界では、さまざまな摂理が絡み合って全体を支配しています。
いろいろな法則(摂理)が絡み合って調和し、一つの大きな法則ができ人間が存在しています。
3)大枠となる一つの大きな摂理の内側に別の摂理があり、全体として大きな摂理を形成しています。
人間に働く大枠の摂理は人間を存在させる摂理だけではありません。
他には、永遠の霊的成長の摂理や利他性の法則などがあります。
「わたしが摂理の存在を口にする時、たった一つの摂理のことを言っているのではありません。
宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。それが完ぺきな型(パターン)に
はめられております。ただし、法則の裏側にはまた別の次元の法則があるというふうに、幾重
(いくえ)にも重なっております。しかるに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることはで
きません。それを支配する大霊と同じく無窮なのです。すると摂理も無限であり、永遠に進化
が続くということになります。」
『霊的新時代の到来』P.143/8~LB1
「摂理の裏側に別の次元の摂理があります。大自然の成育、国家ならびに民族の進化をつかさど
る摂理とともに、一人一人の人間を支配している摂理があります。これらが裏になり表になり
ながら働いているのです。無限の叡智というカギを手にしないかぎり、その全体に完全な調和
が行きわたっていることを悟ることはできません。が、間違いなく調和が行きわたっているの
です」
『霊的新時代の到来』P.190/8~12
ここまでが「神と人間の関係」と「人間を存在させる法則」についてみてきました。
次は神と人間の心の関係・信仰についてみていきます。
◆「摂理の神」の信仰的意味とは
-----神に対する正しい認識と、神との正しい関係・信仰
神と人間の関係の大原則は次の4つにまとめられます。
①摂理を介した間接的関係
②人間からは神は常に摂理として映る
(冷たい機械的な支配の裏側には全人類を平等に扱い幸せに導く愛がある)
③すべてを支配している
(すべての存在を把握・人間は一人ひとりをイメージされている)
④遍在する大霊である
では、もう少し詳しく神の摂理と人間の関係をみていきます。
1)神の摂理と人間の幸福の関係
・神の摂理とは、神が人間を幸せにするために設けた仕組みです。
誰もが幸せになってほしいという願いから神は摂理を創りました。
特別も恩寵もない完全平等の愛が摂理です。すべての人間が同じ摂理のもとに生きています。
・人間の幸不幸は摂理への一致によって決定
摂理に一致した生き方は、調和状態を生み、幸福となります。
摂理に一致しない(反した)生き方は、カルマを作り不幸になります。
摂理に一致するかしないかで、幸福か不幸かどちらかになるということです。
・神の摂理と人間の幸福は表裏一体関係にある
摂理とは何かを知らずに、摂理に一致した生き方はできません。そうすると、幸福を手に入れる
こともできません。
摂理は、神が人間すべてを幸福にするために創ったということを知らないと、あえて摂理に一致
した生き方をしようとは思わないでしょう。
「私たちは大霊が定めた摂理(法則)をお教えしようとしているのです。それを守りさえ
すれば物的生活に健康と幸せをもたらすことができるからです」
『シルバーバーチの教え』(上)P88/6~7
「神(大霊)の摂理はそのようにして働くのです。つまり摂理に順応した生活を送ってい
れば、望み通りの結果が生じるようになっています。結果が出ないということは、摂理
に一致した生き方をしていないことを示しています(中略)摂理に合わせようとしない
で、"なぜ神は働かないのか"と不平ばかり言っている人間を相手にしてはいけません」
『シルバーバーチの教え』(上)P93/8~LB1
「霊的知識から生まれた完璧な信仰を持たなければなりません。万事うまくいくという信
念、大霊の摂理と調和して生きればそれ相当の実りを手にすることができるとの信念を
持たなければなりません」
『シルバーバーチの教え』(上)P96/6~8
「真の幸福とは、大霊と一体になった者に訪れる安らぎのことです。それは心が大霊のリズ
ムで鼓動し、大霊の意志と一致し、魂と精神が大霊と一つになっている状態のことです。
大霊の摂理と調和しているから安らぎがあるのです。それ以外に安らぎは得られません」
『シルバーバーチの教え』(上)P99/8~12
2)正しい信仰のあり方とは、神の摂理に沿った生き方をしようと努力することです。
それは、自分から摂理に合わせていこうとする自力信仰です。
既存の宗教の多くは神に救ってもらおう願い事を叶えてもらおうとする他力信仰でした。
・これまでの地上の宗教や信仰者 直接関係だと思っていました。
神に必死になって祈り訴えれば、神が同情して特別な配慮や奇跡を起こしてくれる、
救ってくれるという考えは、根本的に間違っていました。
「大霊による直接の関与などというものは絶対にありません」
『霊的新時代の到来』P.46/10
・“正しい信仰”とは、神が定めた規則(摂理)に沿うための忠実な努力です。
人間が幸せになるようにとの神の配慮から創られた摂理を無視して、自分の一方的な願い事を
訴えて幸せになることはできません。
どれほど神の名を呼んでも、何度願い事を繰り返そうが全く意味がありません。
人間が幸福になるために神が創られた摂理を無視して、一方的な願い事は叶えられません。
いくら神の名を呼んでも、いくら願い事を口にしても特別な扱いは起こりません。
「世の中の出来事は自然の摂理によって支配されており、大霊による特別の干渉は必要あり
ません。もしも干渉が有りうることになったら、大霊が大霊でなくなります。完全でない
ことになり、混乱が生じます」
『地上人類への最高の福音』P.53/1~3
・“正しい信仰”とは、自分の方が神の摂理に合わせ一致していくことです。
正しい信仰は霊的成長につながります。
「神の摂理は計画通りに絶え間なく作用しています。賢明なる人間──叡知を身につけたと
いう意味で賢明な人間は、摂理に文句を言う前に自分から神の無限の愛と叡知に合わせて
いくようになります。 そうした叡知を身につけることは容易なことではありません。
身体的、精神的、霊的苦難が伴います。この三つの要素のうちの二つが絡むこともあれば
三つが全部絡むこともあります。霊性の開発は茨の道です。苦難の道を歩みつつ、後に自
分だけの懐かしい想い出の標識を残していきます。魂の巡礼の旅は孤独です。行けば行く
ほど孤独さを増していきます。 しかし、利己的生活や無慈悲な生活にそれ相当の償いが
あるように、その霊性開発の孤独な道にもそれなりの埋め合わせがあります。悟りが深ま
るにつれて内的生命、内的輝き、内的喜び、内的確信がいっそうその強さを増していくの
です。生命現象の全てが拠り所とする内的実在界の実相を味わい、神の愛の温もりをひし
ひしと実感するようになります。それが容易に成就されるとは私は一度も言っておりませ
ん。最高の宝、最も豊かな宝は、最も手に入れ難いものです。しかもそれは自らの努力に
よって自分一人で獲得していかねばならないのです」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.111/1~P.112/1
霊界の宗教とは、たった一つです。摂理に沿った生き方が当たり前の日常になっています。
その日常生活そのものが信仰になっています。
それを地上に広めようとしているのが、スピリチュアリズムです。
3)摂理と祈りの関係 正しい祈りとは
・“祈り”とは、神に語りかけるという、人間にとって重要な信仰的行為・霊的実践内容です。
・“正しい祈り”とは、大霊の摂理の支配を踏まえた上での神への語りかけです。
自分中心の願い事を訴えることは、どれほど真剣で純粋であっても間違った祈りになります。
「いくら誠心誠意の祈りであっても、それだけで摂理が変えられるものではありません。
いかなる教義を忠実に受け入れても、摂理を変えることはできません」
『シルバーバーチの霊訓(11)』P.90/5~7
・神の摂理にそっていない祈りは、意味のない行為・勝手な信仰です。
これまでの地上の宗教-----願い事信仰(ご利益信仰)
"私の願いを聞いてください"、"私を救ってください"という祈りは、的外れで利他的な願い
事で神に対してマナー違反になります。
なぜ、正しい信仰と正しい祈りが広まらないのでしょうか。
その原因は霊的無知です。
すべての宗教が「摂理の神」「摂理の支配」「神と人間の摂理を介しての間接的関係」を
知らなかったからです。
そのため、地上人類は意味のない祈りを延々と現在まで続けてきました。
「祈りをするうえで常に意識しなければならない対象とは、大霊、生命の摂理、宇宙の
自然法則であるということです」
『シルバーバーチの教え』(上)P120/1~2