永遠の霊的成長の法則
摂理観(3)
前回の内容は、物質次元から霊的次元の摂理が絡み合い重なって調和し、大枠の「人間を存在させる摂理」が
人間を管理しているというものでした。
今回は、人間にとって最も重要な摂理をみていきます。
私たち人間は、霊的成長することが宿命です。誰もその宿命から逃れることはできません。
その「永遠の霊的成長に関する摂理」です。
◆人間の霊的成長に関するさまざまな摂理(法則)
――― さまざまな摂理の働きの中で霊的成長が達成
・地上人生の目的・・・・霊的成長です。
(人間にとって一番大切なことです。霊的成長の無い人生は無意味で無駄な人生になってしまいます)
・人間にとって最も重要な霊的成長は、さまざまな神の摂理の支配のもとでなされます。
・「永遠の霊的成長」という大枠となる重要な摂理の内側に、霊的成長に関係したさまざまな摂理が存在
します。(さまざまな摂理が絶妙に関わり合いを持つ中で、最終的に霊的成長という大目的が達成されるよ
うになっています)
①永遠の霊的進化の法則(永遠の霊的成長の法則)
人間の宿命=永遠の霊的成長です。 誰一人この宿命の枠からはみ出すことはありません。
一般には宿命と聞くと”死”と考えるますが、それは肉体生命にとっての宿命でしかありません。それは動物や
植物という地上の生命体も同じ宿命を持っています。永遠の霊的存在である人間の宿命は、永遠の霊的成長
になるのです。
・大霊の分霊として個別性を与えられた人間は、永遠に進化向上して大霊に接近していくように定められてい
ます。それが、「永遠の霊的進化の法則」です。
・終わりのない永遠の進化のプロセスが続きます。
永遠の進化の果てにニルバーナに到達や、大霊と融合一体化することはありません。
人間は分霊を与えられ個別性を持って地上へ誕生します。それが個霊としての始まりです。
そこからは永遠に成長していくことになります。成長とは神に近づくことで、それが幸せなのです。
永遠に神に近づくプロセスを歩みます。しかし決して神と一体化はしません。
・人間の霊的成長に関する大枠となる、最も重要で総括的な法則です。
・最も大きい基本的な摂理で、内側に多くの別の摂理を含みます。
人間だけに与えられた自由意志を"成長なんて必要ない"と成長を拒否する方向で行使した場合、それは
「永遠の霊的進化の法則」に反することになります。
→ 結果、霊的成長プロセスの停滞になり、成長がストップします。
→ 摂理に反した分の苦しみとなって返ってきます。 因果律
→ 苦しみを通して霊的成長のプロセスがリセットされます。苦しみが罪の償いになっているのです。
→ 再び、霊的成長の道を歩むことができるようになります。
足かせが取れ本来の大枠の法則である「永遠の霊的成長」の道に戻れるのです。
このように、いくら自由意志で法則に反した道を選んだとしても、宿命の道に必ず戻されるようになって
います。それはなぜか、「永遠の霊的成長」が幸せになれる法則だからです。
神の存在を否定し、霊的成長を拒否する人間であってもから逃れられる人間はいません。
『シルバーバーチの霊訓(3)』P34/3~P34/6
「失敗も災難もみな薬です。何かを教えてくれます。結局人間は宇宙という大きな学校の生徒というわけです。これでよいという段階はけっして来ません。成長すればするほど、まだまだ開発し磨いていかなねばならないものがあることに気づくものだからです」
『シルバーバーチの霊訓(10)』P188/2~8
「人間の場合は完全への道が無限に続くのです。完全へ到達することができないのです。知識にも叡知にも理解力にも真理にも、究極というものがないのです。精神と霊とが成長するにつれて能力が増します。いま成就出来ないのも、そのうち成就出来るようになります。はしご段を昇っていき、昨日は手が届かなかった段に上がってみると、その上にもう一つ上の段が見えます。それが無限に続くというのです。それで完全という段階が来ないのです。もしそういうことが有りうるとしたら、進化ということが無意味となります」
ここでみてきた法則は「永遠の霊的成長」です。
永遠ということは、地上人生後の霊界での生活にも当てはまるということになります。
地上だけでなく霊界でも霊的成長するようになっているのです。
②霊優位(霊主肉従)の法則
地上に肉体を持って生きる人間にだけに適用される法則です。(霊界では肉体がないため霊界にはない法則)
・霊的成長を達成するための条件(1)
肉体(物質的身体)を持った地上人の場合、霊が物質の壁の中に閉じ込められたままでは霊的成長を達成
することはできません。そのため、霊優位の努力が不可欠となります。
・神は霊優位(霊主肉従)の実践を通じて、地上人の霊的成長がなされるように造られました
⇒ 「霊優位(霊主肉従)の法則」
肉体を持つすべての地上人には肉体本能がありますが、何も意識しなければその本能が優位な状態になっています。それは自己愛の強い状態で、利他愛が小さくなっています。この状態では霊的成長はできません。
自らの意志で霊優位の状態にすると、自然と利他愛の心が大きくなっています。
このように、肉体を持つ地上人には霊優位にする努力が不可欠なのです。
基本的な成長のための法則と言えます。
この霊優位の努力は、宗教の中で体験してきました。修行の肉体行(滝行や断食や千日回峰行)は肉体を極限まで弱らせ霊優位にするためのものだったのです。
厳しい辛い修行を通し信仰を深めよう、悟りを得ようと努力してきたのです。
ほとんどの人間はこの霊優位の法則を知りません。どれほど私たちに大きな影響があるかを知らないため、努力しようと思わないのです。
『シルバーバーチの教え』(下)P58/LB4~LB2
「人間には大霊の分霊が宿っていますが、同時に動物的進化の名残も留めています。人間の進化向上は、動物性を抑え、神性を発揮することによってなされるものなのです」
③利他性(利他愛)の法則
・霊的成長を達成するための条件(2)
・神は人間が利他愛の実践を通じて霊的成長するように造られました。
・利他性は宇宙を支配する摂理でもあり、宇宙の万物の存在形式になっています。
人間の霊的成長だけに関わっていません。他の存在すべてにも働いています。例えば、動物や植物に愛を
もって接することでそれぞれの進化を促進できます。
すべての被造物・被造世界は、利他的相互関係の中でお互いが共存するように造られています。
・人間の霊的成長は「利他性の摂理」によって達成されます。
・地上人の場合、〈利他愛の実践〉には〈霊優位の実践〉が先行条件となる
霊優位の状態でない限り、〈利他愛の実践〉はできません。自分の利益を考えての純粋な利他愛はありえ
ないのです。
霊優位の法則と利他愛の法則は連動関係にあり、その結果霊的成長が達成されるようになっています。
・「利他性の摂理」に反するのが“利己性”です。(霊的成長を妨げたり停滞させたりします。)
利他性(利他愛)の実践 → 霊的成長
利己愛の行為 → 霊的成長を妨げる
霊主肉従の努力をした上で、利他的な行為が初めてできる
②霊優位の法則と③利他性の法則は、霊的人生を歩むため霊的成長のための実践項目となります。
2つの法則に一致した生き方をすれば、霊的成長するのです。
『シルバーバーチの霊訓(1)』P142/5~P143/5
「全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。その愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃えます。愛は自分より不幸な者へ向けて自然に手を差しのべさせるものです。(中略) 好感を覚える人を愛するのはやさしいことです。そこには徳性も神聖さもありません。好感の持てない人を愛する──これが魂の霊格の高さを示します。あなたに憎しみを抱いている人のもとに赴くこと、あなたの気に食わぬ人のために手を差しのべること、これは容易なことではありません。確かに難しいことです。しかし、あなた方は常に理想を目標としなければいけません。他人に出来ないことをする、これが奉仕の奉仕たる所以だからです。可哀そうにと思える人に優しくする、これは別に難しいことではありません。気心の合った人に同情する、これも難しいことではありません。が、敵を愛する、これは実に難しいことです」
人間は利他性・利己性どちらを選ぶかを自由に選択できます。それが神が人間だけに与えた自由意志です。
④自由意志の法則
・神は人間が自らの判断と意志に基づいて、霊的成長を達成するように造られました。
地上人が霊的成長するための条件として、「霊優位(霊主肉従)の法則」と「利他性の法則」に沿った行為
(実践)が必須です。
自らの自由意志で実践の道を選ぶことが自由意志の法則になります。
・神は人間に、自由意志を与え法則を無視したり反逆して霊的成長を妨げたり停滞させる可能性も与えました。
人間は霊的成長の道を選択することも、反対に霊的成長に反する道を選択することができるということです。
「自由意志の法則」は、 自ら成長の道を選びなさいという神の意志です。
・神は人間のみに自由意志を与えた
人間を自分の霊的子どもとして愛の絆で結ばれた親子として関係を創られました。
子どもである人間が、自らの努力によって霊的成長という大切な宝を手にして幸福を達成するようにと願
われたのです。 神は自分の言うことを聞くだけのロボットのような存在として人間を創られなかったの
です。それは神の愛の表れです。
・人間に与えられた自由 制限付きの自由、無制限の自由ではない
一定の摂理の枠内における自由です。人間の勝手な自由行動によって、神の決められた摂理そのものが崩
壊させられたり、人間の住処として準備した地上世界が崩壊したりするようなことが無いような仕組みも
同時に設けられています。
大枠の「永遠の霊的進化の法則」の中で自由意志を行使できるようになっているということです。
・自由意志によって摂理に反した行為を選択すると、苦しみが自動的に発生します。
摂理から外れた分だけ苦しみがあります。神の存在を否定する人もいつかは苦しみに耐えられなくなって
神にすがったり、自分の行為を後悔するようになります。
最終的に人間は摂理に沿った道を歩むようになっています。
一時的に少し遠回りするようなことがあっても、どんなに遠回りをしても結果的には霊的成長の道を歩み
続けるようになっています。
そういう意味でも、限られた範囲でしか自由意志は行使できませんし限度があります。
『シルバーバーチの教え』(上)P105/5~8
「私たちは大霊の摂理をお教えしようとしているのです。それによってあなた方は、摂理と調和した生活が可能になります。もちろん自由意志が与えられていますから、摂理に従うか否かはあなた方の選択に任されています。一個人であろうと集団であろうと同じことです」
『シルバーバーチの教え』(上)P106/8~10
「自由意志は大霊から授かった権利です。が、その使用を誤ると代償を支払わねばなりません。摂理にのっとった生き方をすれば豊かな恩恵を手にすることになります。もし摂理に反した生き方をするなら、それ相当の結果を刈り取らなければなりません。前者は平和と幸福と豊かさをもたらし、後者は悲劇と戦争と流血と混乱を招きます」
『シルバーバーチの教え』(下)P125/LB2~P126/2
「すべての人間に自由意志が与えられています。ただしそれは、大霊が定めた摂理の範囲内で行使しなければなりません。摂理は大霊の愛から造られたもので、子どもたちのすべてを平等に支配しています。それを変えることは誰にも出来ません。あなた方は、規則の範囲内において自由であるということです」
私たちは自由意志の用い方でそれぞれ違う結果を生むことになります。
良い原因は良い結果を生み、悪い原因は悪い結果を生むという自由意志に関わる法則が、次の因果の法則です。
⑤因果(カルマ)の法則
霊的成長に関わるだけでなく宇宙の全てに関わる法則です。
原因と結果はすべてに働く法則であり、最も大きな法則です。
・正しい原因からはよい結果が、悪い原因からは悪い結果が生じる
摂理に一致した行為・生き方は正しい原因となり、良い結果(プラスのカルマ)を生みます。
良い結果とは、霊的成長であり幸福や喜びです。
摂理に反した行為・生き方は悪い原因となり、悪い結果(マイナスのカルマ)を生みます。
悪い結果とは、霊的成長の阻害であり不幸や苦しみになります。
・人間の霊的成長のプロセスは、「因果の法則」に基づいてなされます。
・神が造られた世界では、すべてが原因と結果の機械的連鎖関係の中で存在しています。
原因と結果の関係が、例外なく機械的に展開していく=「因果の法則」
※「原因と結果の法則」「カルマの法則」「罪と罰の法則(悪い原因と悪い結果のみ)」とも呼ばれる
・「因果の法則」は死後の世界でも適用され、地上世界と霊界をまたいでも適用されます。
地上人生で罪(摂理違反)を犯すと、死後それが霊界で悪いカルマとして苦しみをもたらすこともあるの
です。地上だけでなく、死後霊界でもカルマの清算としての苦しみがあるということです。
ですから、地上人生のみをみて不公平と判断しないことです。死後においても、来世の再生人生にカルマ
清算の苦難があるのです。
『シルバーバーチの教え』(上)P104/1~8
「行為が生み出す結果は絶対に避けられません。私たちには、大霊の摂理を変えることはできません。蒔いた種が生み出す結果は、自分で刈り取らなければならないのです。利己主義という種を蒔けば、それ相当の結果を刈り取らなければなりません。高慢・嫉妬・怨恨・貪欲・敵意・不信・猜疑心――こうしたものがつもり積って、戦争・難題・不和といったものを生み出します」
『シルバーバーチの教え』(上)P104/LB3~P105/3
「摂理に逆らった生き方をする人は、一人の人間であろうと大勢の集団であろうと、民族であろうと国家であろうと、いつかはその代償を払わなければなりません。摂理の働きが完璧であることはいつも説いている通りです。その働きは人間の目には目えないかもしれませんが、原因と結果は常に連鎖しています。摂理がそのようになっているからです。何度も述べてきたことですが、それを改めて説くのは大霊の摂理がすべてだからです」
『シルバーバーチの教え』(下)P117/3~6
「地上人生で起きるすべてのことは、いつの日か必ず帳尻が合うようになっています。いつかは自分で天秤を手にして、バランスを調節する日がまいります。あなた方は、自分が蒔いた種を刈り取るという自然法則から逃れることは出来ません。軽い罰で済んでいる人がいるかにお考えのようですが、そういうことはありません」
摂理に反した行為は霊的成長のストップだけでなく、苦しみが生じます。
それがカルマの清算、カルマの解消です。
悪い原因から生じた悪い結果を消滅させるためのシステムです。
悪い結果が、永遠に許されることなく苦しみ続けなければならないのであれば、人は救われません。
神は、人間が永遠に苦しむような無慈悲なことはされません。
摂理をそのように創ってはいないのです。
苦しみはマイナスの結果だけでなく、自分が作った罪の償いになっているのです。
それが次の「償いの法則」です。
⑥償いの法則(カルマ清算の法則)
苦しみ自体が償いとなっています。
・摂理に反した行為や生き方は、苦しみ・不幸などの悪い結果(「因果の法則」)を生じさせます。
しかし、その〈苦しみ〉が罪(摂理違反)の償いとなり、罪の清算プロセスになっています。
それが、「償い(苦しみによるカルマ清算)の法則」です。
・摂理違反に相当する苦しみの体験を通して、罪(摂理違反)が償われ、霊的成長の足かせが取り除かれ、
霊的成長の歩みがリセットされるようになっています。
・償いのプロセスそのものは当人にとっては苦しみですが、広い目で見ると、霊的成長の道がリセットされる
“救いのプロセス”になっています。だから、苦しみの体験はありがたいものなのです。
多くの人は、因果応報とは罪に対する罰と理解しています。しかし、実は償いも兼ねています。
苦しみが救いとなっているのです。
だから、取り返しのつかない罪はないのです。どんな極悪な人間もカルマを清算すればやり直しできるということです。摂理違反をした人間をいつまでも苦しませないという神の愛なのです。
・カルマによって自分に発生した苦しみを甘受し、霊的成長のために〈良いこと〉〈ありがたいこと〉と
して受け入れることは、最も賢明な生き方であり、信仰的な受け止め方になります。
『地上人類への最高の福音』P46/LB4~LB1
「苦しみの要素も摂理の一環です。いわれのない苦しみを被(こうむ)っていると思っている人も、やはり過去において何らかの形で摂理に反したことをしているからこそ、今のその苦しみがあるのです。それが因果律というものです。苦しみを味わってこそ摂理がわかるのです」
苦しみから逃れたい、誰かに代わって欲しいと神に願っても祈っても、それは無理です。
自分の摂理違反としての悪い結果は、それを引き起こした自分自身が受け止める、それが法則(摂理)です。
その法則が次の法則です。
⑦自己責任の法則
自分が作った罪は自分が償う(当たり前のこと)ということです。
しかし、従来の宗教は「私を救ってください」「苦しみをなくしてください」と自分の作った罪の免除を神に願ってきました。それは他力信仰でした。誰かに自分を救ってもらおうという他力救済です。
・因果の法則に基づく悪い結果は、すべて本人が引き起こした結果です。
それは「自己責任の法則」により、自分自身の責任において償いをしなければなりません。
神仏にすがって救いを求めて罪を許してもらうことはできないのです。
摂理としてそう働くようになっています。
しかし、従来の宗教は摂理を理解していなかったため、許しと救いの祈りを捧げてきました。
それを信仰だと思ってきたのです。 それは大きな間違いでした。
神に救ってもらうという他力救済は間違いで、真実は苦しみを通し自分で自分を救う自力救済以外にはありません。
祈りを通し救ってもらおうとしてきたのは、自己責任の法則を知らなかったからです。
『シルバーバーチの教え』(下)P132/1~2
「自分がタネを蒔き、蒔いたものは自分で刈り取る――この法則から逃れることは出来ません。神の法則はごまかすことが出来ないのです」
『シルバーバーチの教え』(下)P132/LB1~P133/3
「その人は自由意志で、善ではなく悪をなす道を選んだのです。悪行が招いた結果から逃れることはできません。間違いは正さなければなりません。告白によって罪を消し去ることができると思うのは、自分に対するごまかしに過ぎないのです。蒔いた種は自分で刈り取らなければなりません。それが神の摂理なのです」
⑧代価の法則(自己犠牲の法則)
利他愛の実践の際に働く法則で、利他性の法則を強化します。
・人間の霊的成長は利他愛の実践を通してなされます。
その際大きな自己犠牲を払えば払うほどいっそう霊的成長が促されるます。
それが「代価の法則(自己犠牲の法則)」です。
・「代価の法則」とは、利他愛の程度を決める基準となる法則です。
自己犠牲が大きければ大きいほど、利他愛が深いということになります。
・「代価の法則」は、「利他愛の法則」を強化する法則になっています。
そして、自己犠牲が大きければ大きいほど霊的成長が促されるようになっています。
『シルバーバーチの教え』(上)P94/LB3~LB1
「何の代価も支払わずに入手できるものは、この地上には何ひとつないということです。代価を支払わずに霊的能力を開発することはできませんし、魂の富を蓄えることもできません」
⑨両極性の法則(相対性の法則・対照の法則・光と陰の法則)
地上では必ず光と陰、反する両方を体験しながら成長するようになっています。
両方を体験することで学ぶ場所が地上なのです。(霊界には闇や陰や苦しみはありません)
・地上世界は、光と闇、喜びと悲しみ・愛と憎しみ、利他性と利己性、晴天と嵐、健康と病気といった
対照的(両極的)な要素から成立しています。
・地上世界では人間は両極(対照)的な体験を通して、霊的成長のプロセスを歩むようになっています。
⇒ 「両極性(対照性)の法則」 良いことも悪い事も体験するということです。
・両極の体験をすることで、霊的覚醒がもたらされ霊的真理の理解が深められます。それによって霊的成長
が促されます。
苦しみの体験を通し、他人の苦しみを理解できるようになり、利他性を持つことができるようにもなるの
です。
これは、霊界にはない地上世界ならではの霊的成長のプロセスです。
・「両極性の法則」に照らしてみると、摂理違反(罪)から発した苦しみ(罰)の体験にも霊的成長を促す意
味があることになります。
・地上人は陰の体験(苦しみの体験)が結果的にプラスに作用し、光のありがたさを実感できるようになりま
す。(霊的成長の重要性とありがたさを実感するようになります)
・人間の霊的成長は原則的には利他愛の実践を通してなされるようになっていますが、苦しみを通しても間接
的に霊的成長がもたらされ、促されるようになっています。
『シルバーバーチの教え』(上)P109/7~P110/4
「地上生活には、時には辛さと絶望、痛みと悲惨さがともないますが、そのすべてが魂にとって永遠の旅路に向かうための準備なのです。暗黒と光、陰と日向といった対照的なものも、実は一個の統一体の反映に過ぎません。陰なくしては光も有り得ず、光なくしては暗黒も有り得ません。それと同じで、困難は魂が向上するための階段です。困難・障害・ハンディキャップ――こうしたものは魂の試練なのです。それを克服した時、魂はより強くなり、より純粋になり、より深くなり、いっそう進化するようになるのです。
無限の可能性を秘めた魂の潜在能力が、困難も苦痛もなく、陰も悲しみも悩みも悲惨さもなしに発現すると思われますか。発現するはずがありません。
悲哀の極みをなめ尽くして初めて、魂の奥底からの喜びが味わえるのです。生命の階段を低く下りるほど、それだけ高く上がれるのです。地上人生の陰と思える体験を重ねるほど、日向の喜びがひとしお身にしみるように
なるのです。
すべてのことが霊性進化の肥やしになります」
人間は光の体験と陰の体験を通し成長していきます。
苦しみを味わい、自分を救ってくれるものが地上にはないというところまで苦しんで霊的覚醒が起こります。
この霊的目覚めがおきて光を見出すことができるのです。