霊的真理の理解
今、スピリチュアリズムという言葉は広がり多くの人が知っています。
しかし、スピリチュアリズムの本質を理解している人はほとんどいません。
情報の量に対し、正しく理解している人が圧倒的に少ないのが現状です。
<霊的真理の理解の違い>
①霊的真理の受入れ時期が一人ひとり違うように、霊的真理の理解も霊性により一人ひとり違います。
今わからない事は、これからの体験を通し自分の魂が成長すればわかるようになるかもしれません。
②霊的真理は思想的な学びだけでは、真の理解・得心には至りません。
苦しみもがく中で、必死に探し求めるその真摯な姿勢を貫くことで霊的真理を手に入れることができるよう
になります。それは、真摯に求めなければ目の前にあっても自分のものにできないということです。
③一部の理解で全体を理解することはできません。
私たちは、まだほんのわずかな霊的真理しか理解できません。
その基本的な霊的真理すら、まだ理解できない人が多くいます。
また、そのわずかな真理だけをもって知識を得たと満足し思い立ち止まる人もいます。
一部から全体を理解することはできません。
『古代霊は語る』P42/10~LB1
「私とて、霊界生活で知り得た範囲の神の摂理を、英語という地上の言語に翻訳して語り伝えているに過ぎません。 それを耳にし、あるいは目にされた方の全てが、必ずしも私の解釈の仕方に得心がいくとはかぎらないでしょう。
しかし忘れないでください。私はあなた方の世界とはまったく次元の異なる世界の人間です。英語という言語には限界があり、この霊媒にも限界があります。 ですから、もしも私の語った言葉が十分納得できない場合は、それはあなた方がまだその真理を理解する段階にまで至っていないか、それともその真理が地上の言語で表現し得る限界を超えた要素をもっているために、私の表現がその意味を十分に伝え切っていないかの、いずれかでありましょう」
『シルバーバーチの霊訓』(2)P126/2~4
「現段階での人類は全ての知識を手に入れることは期待できません。一人一人の受容力と、能力と、霊的発達程度に応じただけの知識が授けられております」
『シルバーバーチの霊訓』(3)P60/3~10
「真に欲する者には存分に分け与えてあげられる無限の知識の宝庫が用意されておりますが、それは本人の魂の成長と努力と進化と発展を条件として与えられます。魂がそれに相応しくならなければなりません。精神が熟さなくてはなりません。心がその受け入れ態勢を整えなくてはなりません。 その時初めて知識がその場を見出すのです。それも、受け入れる能力に応じた分しか与えられません。 目の見えなかった人が見えるようになったとしても、その視力に応じて少しづつ見せてあげなくてはなりません。一気に全部を見せてあげたら、かえって目を傷めます。霊的真理も同じです。梯子を一段一段上がるように、一歩一歩、真理の源へ近づき、そこから僅かずつを我がものとしていくのです」
『シルバーバーチの霊訓』(8)P.19/5~8
「人間の限られた能力では一つ一つの事態の意義が判断できません。ですから、前にも申し上げたように、判断できないところは、それまでに得た知識を土台として(すべては佳きに計らわれているのだという)信念で補うしかありません。しかし、所詮、そこから先のことは各自の自由意志の問題です」
『シルバーバーチの霊訓』(6)P.191/3~6
「真理は永遠不滅です。しかも無限の側面があります。なのに人間は自分が手にした一側面をもって真理の全体であると思い込みます。そこから誤りが始まります。全体などではありません。進化するにつれて理解力が増し、他の側面を受け入れる用意ができるのです。生命活動とは断え間なく広がり行く永遠の開発過程のことです。真理の探究は無限に続きます」
『霊訓』(下)P228/LB1~P.229/9
「真理にもさまざまな段階がある。多くの側面をもつ水晶から無数の光が発せられる。その光の一条たりとも全ての魂によって曇りなき目で受け止められるとは限らぬ。僅かな者、ごく僅かな数の者に、その無数の光の中よりはぐれた一条(もしかしてそれ以上)の光が届くに過ぎぬ。それも多くの媒介者を通して届けられる故に、ようやく届いた時はすでにその透明度が曇らされている。それは如何ともし難きことである。それ故にこそさまざまな真理の観方が生ずるのである。それ故にこそさまざまな見解、誤謬、誤解、錯誤が罷り通ることにもなるのである。真理を見たと言うも、その多くは束の間の真理を見ているに過ぎぬ それに己の見解を付加し、敷衍(ふえん)し、発展させ、そうするうちに折角の光を消し、一条の貴重なる真理の光が歪められ破壊される。かくして真理が台無しにされて行く。咎めらるベきは真理の中継者の不完全さである」
<あふれる情報の中から、何を選択するか>
①根幹に利他愛があるかどうか。
霊性の高さと利他愛の深さは比例します。
②理性と知性を最大限に使って、試してください。
無条件に信じないで、神から授かった理性で判断することが必要です。
③発信する人間には謙虚さが必要です。
利己心、虚栄心、自己顕示欲、自惚れ、見返り(栄誉・称賛など)を求めるといった感情を持っていませんか。
思想的・哲学的な意味ばかりを追っていませんか。
『シルバーバーチの霊訓』(4)P.103/LB2~P.104/2
「あなた方の理性に反撥を覚えさせるもの、神の愛の概念と矛盾するもの、愚かしく思えるもの、あなたの知性を侮辱するものがあるとすれば、それは、もはや私の出る幕ではなくなったことを意味します」
『シルバーバーチの霊訓』(2)P.126/LB3~LB2
「あなたの常識に反発を覚えさせたり、あなたの知性を侮辱するものであれば、どうか信じないでいただきたい」
『シルバーバーチの霊訓』(6)P.206/LB4~LB1
「全部鵜呑みにしてはいけません。 あなたの理性が反撥するもの、あなたの知性を侮辱するものは拒絶なさい。理に適っていると思えるもの、価値があると確信できるもののみを受け入れなさい。何でもすぐに信じる必要はありません。あなた自身の判断力にしっくりくるものだけを受け入れればいいのです」
『シルバーバーチの霊訓』(8)P.3/LB6~LB4
「あなたも私も、そして他の大勢の人々が参加できる光栄な仕事です。それはおのずと、その責任の重さゆえに謙虚であることを要求します」
『霊の書』P.13/LB4~LB1
「忘れてはならぬ。善霊は謙虚さと無私無欲の態度で神に奉仕する者にのみ援助の手を差し延べる。霊的なことを世俗的栄達の足掛かりにせんとする者は無視し、高慢と野心に燃える者からは手を引く。高慢と野心は人間と神との間に張りめぐらされる障壁である。それは天界の光線を見えなくする。光の見えぬ者に神は仕事を授けぬということである」
<真理の受入れ>
①真理の受入れは人それぞれ時期があります。
肉体の年齢には関係ありません。魂の発達に関係します。
②それぞれが自分の霊性に見合ったものしか受け取れません。
誰かが与えてくれるものではありません。また、誰かに納得させてもらえるものでもありません。
直観力(理屈ではなく本物を見抜く力)も必要です。
③時期の来ていない人、受け入れられない人に対しては待つほかありません。
地上体験を通し霊性が目覚め、自分から求めるようになるまではどうしょうもありません。
『シルバーバーチの霊訓』(2)P.204/LB4~LB3
「霊的真理というものは、それを受け入れる用意のある人にしか理解されないことを銘記しなければなりません。叡知は魂がそれを理解できる段階に到達するまでは受け入れられません」
『シルバーバーチの霊訓』(1)P.64/2~5
「人間にとってその条件とは辛苦であり、悲しみであり、苦痛であり、暗闇の体験です。何もかもがうまくいき、鼻歌交じりののん気な暮らしの連続では、神性の開発は望むべくもありません。そこで神は苦労を、悲しみを、そして痛みを用意されるのです。そうしたものを体験して初めて霊的知識を理解する素地が出来上がります」
『シルバーバーチの霊訓』(1)P.55/LB3~P.56/2
「繰り返し述べてきたことですが、真理は魂がそれを悟る準備の出来た時に初めて学べるのです。霊的な受け入れ態勢が出来るまでは決して真理に目覚めることはありません。こちらからいくら援助の手を差しのべても、それを受け入れる準備の出来ていない者は救われません。霊的知識を理解する時機(トキ)を決するのは魂の発達程度です。魂の進化の程度が決するのです」
『シルバーバーチの霊訓』(9)P.135/LB5~LB1
「あなたに受け入れる用意が整った時、いったん獲得したら決して色あせることもなく失われることもない、豊かな霊性が賦与されます。それはあなたみずからの努力によって勝ち取るべき褒賞です。みずからの魂の発達であり、みずからの性格の強化です。そうやってあなたは、その段階での光明の中に生きるにふさわしい存在となっていくのです」
『シルバーバーチの霊訓』(9)P.95/LB3~LB1
「霊の褒賞は奮闘努力の末に手に入るものです。宝くじのような具合に手に入れることはできません。霊の富はそれを手にするにふさわしくなった時に与えられるのです。霊的開発が進むにつれて自動的に、それまでより少しだけ多くのものを身につけていくのです」
『シルバーバーチの霊訓』(9)P.52/5~12
「神は宇宙の会計士のようなものです。生命の帳簿は常に帳尻が合っており、すべてがきちんと清算されております。霊的機構は整然と規制されておりますから、あなたが霊的に受けるものはあなたに相応しい分だけであり、多すぎることもなければ少なすぎることもありません。その計算はあなたがそれまでの努力によって到達した霊的進化の程度を基準にして行われます。霊的なことは常に完全な清算が行き届いており、ごまかしも見せかけも通用しません。 法則は無限なる愛と叡智の働きによって完璧に機能しています。各自が受け取るのはそれまでの努力にふさわしい分だけです。私がそのように定めたのではありません。そのようになっていることを私が知ったというだけです」
『新たなる啓示』P.95/4~7
「不幸にして何の役にも立たなかった時は、その人がまだ霊的真理を受け入れる用意ができていなかったことを意味します。受け入れる用意ができていない魂には、為すすべがありません」
『シルバーバーチの霊訓』(7)P.81/1~5
「私の申し上げることがしっくりこないという方に押し付ける気持ちは毛頭ありません。私は私の知り得たものを精いっぱい謙虚に、精一杯真摯に、精一杯敬虔な気持ちで披歴するだけです。私の全知識、私が獲得した全叡智を、受け入れてくださる方の足元において差し上げるだけです。これは受け取れませんとおっしゃれば、それはその方の責任であって、私の責任ではありません」
『シルバーバーチの霊訓』(10)P.23/5~LB5
「魂はその琴線に触れる体験を経るまでは目覚めないものです。その体験の中にあっては、あたかもこの世から希望が消え失せ、光明も導きも無くなったかに思えるものです。絶望の淵にいる思いがします。ドン底に突き落とされ、もはや這い上がる可能性がないかに思える恐怖を味わいます。そこに至ってはじめて魂が目を覚ますのです。 ですから、私たち霊界の者は魂にその受け入れ準備ができるまで根気よく待つほかないのです。馬を水辺に連れて行くことはできても水を飲ませることはできない、という諺があります。本人がその気にならなければどうしようもないのです」
『霊訓』(下)P.230/10~P.231/LB1
「そなたにとりて絶対的真理と思えるものも実は、そなたの求めに応じて、完全なる真理の輪を構成する粒子の一つ、ほんの一かけらが授けられたに過ぎぬ、そなたがそれを必要としたからこそ授けられたのである。そなたにとりては完璧であり、それが“神”であろう。が、別の者にとりては不可解なるものであり、魂の欲求を満たしてくれる声は聞けず、求める美を見出すことは出来ぬ。衆目に曝したければそれもよかろう。が、すぐに生気を失い、その隠された魅力も人の心を改めさせるだけの力は持たぬであろう。それはあくまでもそなたのものであり、そなた一人のものなのである。(中略)己の生活を大きく変革する真理を熱誠を込めて広めんと勇み立つ。すでにその真理に夢中である。胸に炎が燃え上がり、その訓えを同胞へ説く。その説くところは気高きものかも知れぬ。そして、もし聞く者の欲求に叶えば同類の心にこだまして魂を揺るがせ、何らかの益をもたらすかも知れぬ。が、その逆となるかも知れぬ。ある者にとりて真理と思えることはその者にとりて真実であるに過ぎず、その声は荒野に呼ばわる声に過ぎず、聞く者の耳には戯言(たわごと)にしか響かぬ。彼の殊勝なる行為が無駄に終わる」
<真理を知る人間>
①真理を正しく理解し、実践することが大事です。
シルバーバーチの本を読んだけでは、霊性は変わりません。
実生活の中で、利他愛の行為やさまざまな問題には摂理に沿った対処を、苦しみは因果律の結果として受け止める(苦しみの甘受)ことを実践しなければいけません。
②真理を次の人へ手渡すことは義務です。
『古代霊は語る』P.43/LB2~P.44/2
「知識にも一つ一つ段階があります。その知識の階段を一つ一つ昇っていくのが進歩ということですから、もうこの辺でよかろうと、階段のどこかで腰を下ろしてしまってはいけません。人生を本当に理解する、つまり悟るためには、その一つ一つを理解し吸収していくほかに道はありません」
『シルバーバーチの霊訓』(1)P.148/4~6
「霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません」
『新たなる啓示』P.134/2~5
「世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対処するかに掛っています。そこに、地上に生を受けた、そもそもの意義があるのです」
『シルバーバーチの霊訓』(7)P.176/3~8
「あなた方に出来るのは一個の人間としての責任に忠実であるということ、それしかないのです。自分の理解力の光に照らして義務を遂行する───人のために役立つことをし、自分が手に入れたものを次の人に分け与える───かくして霊の芳香が自然に広がるようになるということです。一種の酵素のようなものです。 じっくりと人間生活の全分野に浸透しながら熟成してまいります。皆さんはご自分で最善と思われることに精を出し、これでよいと思われる方法で真理を普及なさることです」
『シルバーバーチの霊訓』(7)P.70/6
「迷える者に手を差し伸べるということが真理を手にした者の義務です」