【霊的視野(2)】
4)霊的視野と祈り
a.霊的視野を身に付けるには、日頃の意識的な努力が必要
日常生活で遭遇する出来事や自分を取巻く世界で起こることに対して、「意識を切り替えて眺める」という努力が必要です。そしてその努力を継続させることが重要です。
努力の継続
→ 霊的視野が定着
→ トラブルが起こっても、すぐに霊的意識に切り替えらるようになる
しかし、どうしても意識を切り替えられない、努力の継続が難しいときは、
→ 心の整理と祈りを心がけましょう
祈りをすることによって霊的エネルギーが補充され意識が高められ、心が安定し始めます
「物質界に閉じ込められ、物的身体にかかわる必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。 肉体こそ自分である、いま生きている地上世界こそ実在の世界であると思い込み、実は地上世界はカゲであり、肉体はより大きな霊的自我の道具にすぎないことを否定することは実に簡単なことです。もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみることを忘れなければ、どんなにか事がラクにおさまるだろうにと思えるのですが・・・・残念ながら現実はそうではありません」
『シルバーバーチの霊訓(6)』P.14/LB3~P.15/L5
「問題を正しい視野で捉えないといけません。こちらの世界で自覚が芽生えると、その時からその人は向上の道を歩むことになります。自覚が芽生えるまでは地上で満たされなかった欲望の幻影の中で暮らしています。いったん自覚すると、その〝自覚した〟という事実そのものが、それまでの自我の未熟な側面を満足させたいという欲求に訣別したことを意味します。〝正しい視野で捉えなさい〟と言ったのはそういう意味です。欲が深いということは、まだ自覚が芽生えていないということを意味し、自覚するまでは、その欲望が満たされると満足するわけです」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.20/LB1~P.21/L6
b.心の整理と安定
“神と霊界と地上全体”に思いを馳せる
① 神を霊的視野から見る
・この地上世界と霊界のすべてが神の愛に包まれています。
・霊的子どもの私たち一人ひとりを神は愛しています。
・神は、すべてのものを摂理によって支配管理しています。
その摂理の背後には神の慈悲が存在しています。
直接神の姿を目にすることはありませんが、私たちがどこで何をしていても神によって常に愛されています。
「私が今もって感動を禁じ得ないのは、神の摂理の完ぺきさであり、叡知の無限さです。誰一人として見落とされることもなく、またその監視から逃れることもできません」
『最後の啓示』P.67/5~7
「大霊の祝福を祈念いたしましょう。初めも終わりもない大霊の援助を求めましょう。そしてその御心をわが心とすべく、日常の生活を規律正しいものにいたしましょう。大霊の道具として常に最善を尽くしましょう。その努力の中で、私たちの働きの場が常に大霊の愛のマントに包まれていること、そして私たち一人ひとりが温かき大霊の御胸に抱かれていることを実感いたしましょう」
『最後の啓示』P.206/LB3~P.207/3
「誰一人おろそかにされることはありません。誰一人見落とされることはありません。誰一人忘れ去られることはありません。誰一人として一人ぼっちの者はいません。法則の働きの及ばない人、範囲からはみ出る人など一人もいません。あなたがこの世に存在しているという事実そのものが神の摂理の証です」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.73/L4~L7
② 地上の人間を、霊的視野から見る
・目に見えるのは〈物質世界〉だけですが、実際は物質世界と重なるように無数の霊界が広がっています。
そして人間は死ぬとその中のどこかの界層に帰っていきます。
・霊界から今地上人類を救うための計画が実行されつつあります。
しかし、なぜ救いが必要なのか地上の人間はわかっていません。
(霊界人からは、地上人類自らが不幸・悲劇に向かっていることがみえている)
・一人ひとりに守護霊が必ずついていて、地上人生の目的である“霊的成長”のために苦心しています。
そこには地上世界にはない、純粋な利他愛が存在しています。
「私には人生に疲れ切った人間の数々…生活は暗く、あたかも霧と靄(モヤ)の中で暮らしているような人間、肉体的にも知的にも霊的にもがんじがらめにされた人間が見えます」
『シルバーバーチの霊訓(2)』P.20/3~4
「地上のゴタゴタは皆が自分がいちばんいいと思うものを少しでも多く自分のものとしようとする───いちばん悪いものを欲しがる者はいません───そこから生じております。その結果として強欲、貪欲、私利私欲が王座に祭り上げられ、物欲第一主義が新しい神として崇拝されることになります」
『シルバーバーチの霊訓(11)』P.181/LB6~LB3
③ 地上世界を、霊的視野から見る
・地上世界とは・・・・霊界での生活に備えて神が創った訓練の場所
(霊界での奉仕とより良い生活のため)
さまざまな体験を積み魂を鍛える場所です。
・霊的世界と霊的人生の素晴らしさを知らない地上人
物質文明、発展する科学を誇りに思い、得意げになっていますが、
実際は「利己主義」「物質中心主義」のはびこる悲惨な世界です。
理想(利他愛の霊界)とは程遠い世界です。
霊的なものの上に政治・経済・教育・医療も築いていかないと限界がきます。
「霊的無知」を駆逐するための、スピリチュアリズムにいち早く浴することができたことは、《最高の宝》を手に入れたということです。
「最高の価値ある人生」を歩むことができる恩恵を手にしたのです。
「暴力的になっているのは若者だけではありません。若者はその元気さゆえに衆目にさらされやすくて非難の的とされているだけです。暴力的傾向は私利私欲の追及に目がくらんで人間としての道を見失っている、病める地上社会の一症状です。無明の中で、他人の幸福にまったく無とん着に、ますます暴力的になってまいります。しかもそれは人間どうしだけでなくて、可哀そうにも、何の罪のない動物にも向けられています」
『シルバーバーチの霊訓(11)』P.171/LB3~P.172/L2
「地上の邪と悪には貧民街(スラム)が出来るような社会体制の方が得をする者たち、儲けることしか考えない者たち、私腹を肥やすためには同胞がどうなろうと構わない者たち、こうした現体制下の受益者層の存在が原因となって発生しているものが実に多いことを知らなければなりません。悪の原因にはそうした卑劣な人種がのめり込んでしまった薄汚い社会環境があるのです」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.159/LB4~P.160/L1
④ 地上世界の悲劇を、霊的視野から見る
現在の地上は「利己主義」「物質中心主義」が支配する世界です。
今日食べる物、寝る場所の心配をしないと生きていけない人がいます。
それは、霊的なことなど考えられない状態で、地上人生の目的である霊的成長が犠牲に
なっています。
また、「霊的無知」のまま、地上人生を終える人も数多くいます。
これらは、霊的真理が行き渡り理想世界が成就されれば、なくなる不幸です。
地上世界のさまざまな悲劇から地上世界と地上人類を救うために、霊界側がスピリチュアリ
ズム運動を展開しています。
こうした視点で地上世界を見ることができるのは、霊的真理を知ったからです。
それは、霊界の人々(高級霊)と同じ視点でみることができるからです。
「唯物主義と利己主義──地上世界を蝕み、何のために生れて来たかを自覚せぬ大勢の人々を暗闇へと堕落させている、この二つのガンに対する永遠の闘いです」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.101/LB3~LB1
「霊界から地上世界を見ると悲劇と悪行が目に余ります。強欲と利己主義と略奪が横行し、改めねばならないことが無数にあることが判ります」
『シルバーバーチの霊訓(2)』P17/LB1~P18/2
⑤ 自分自身を、霊的視野から見る
この地上世界には、霊的成長を目的に生まれてきました。
そして、この肉体は地上で魂を鍛えるために必要な道具に過ぎず死とともに朽ち果てていきますが、死後霊として霊界で永遠に生き続けます。
時に、自分のカルマの清算や魂を鍛え足りない部分を強化するために、再び不自由な肉体をまとい守護霊と共に地上へ再生します。
「魂は、再生するに当たってあらかじめ地上で成就すべき目的を自覚しております。その自覚が地上で芽生えるまでには長い長い時間を要します。魂の内部には刻み込まれているのです。それが芽生えないままで終わったときは、また再生して来なければなりません。首尾よく自覚が芽生えれば、ようやくその時点から、物質をまとった生活の目的を成就しはじめることになります」
『シルバーバーチの霊訓(8)』P.39/LB4~P.40/L2
⑥ 地上人生を、霊的視野から見る
・地上のすべての人間は、魂を成長させるため(霊的成長のため)に地上に生きています。
・自分の成長にとって相応しい環境として、国・人種・民族・性別・家族を選んでいます。
・自分も他の人もみんな同じ「神の子ども」であり、それぞれが自分の人生を霊的成長を導く
守護霊と共に歩んでいます。
・肉体が衰えやがて肉体の死を迎えると、みんな霊体となって永遠の霊界での生活が始まり
ます。
・霊体となったら、地上で人間を区別してきた国・人種・民族・性別・肌の色の違いがなくな
ります。
・しかし、多くの人は自分の成長のための環境を自ら整え守護霊の導きを得ていながら本来の
地上人生の目的を知らず、地上世界かぎりの楽しみや物質的満足を得ることに時間を費やし
ています。
→ 無駄な地上人生を送る人が多くいるということです。
「地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活にふさわしい進化を遂げることです」
『シルバーバーチの霊訓(10)』 P.40/L6~L8
「人生の最高の目標が霊性の開発にあることを、ゆめ忘れてはなりません。自分の永遠の本性にとって必須のものに目を向けることです。それは人生について正しい視野と焦点を持つことになり、自分が元来不死の魂であり、それが一時の存在である土塊(つちくれ)に宿って自我を表現しているにすぎないこと、心がけ一つで自分を通じて神の力が地上に顕現するという実相を悟ることになるでしょう」
『シルバーバーチの霊訓(1)』 P.116/L3~L7
⑦ 家族を、霊的視野から見る
地上の家族・・・・血縁によって結ばれた関係 = 物質的・肉体的なつながり
霊界の家族・・・・霊的絆によって結ばれた関係 = 永遠的要素のつながり
では、地上での家族の役割とは何でしょうか。
家庭は、最小単位の利他愛の訓練場所です。愛の心を育てる場所です。
その家族は、自分の成長にとって相応しい環境として自らが選んでいます。
しかし、死後霊界で家族関係が継続することは、あまりありません。
・霊的無知から、必要以上に血縁関係を重視し自分の家族さえ幸せであれば、自分の家族さえ
困らなければというエゴが生まれます。
・家族に向ける愛よりも、血縁関係のない不特定多数の他人に向ける愛の方が偉大です。
・先祖の罪がカルマとなって子孫が罰や災難にあうことはありません。
(因果律の法則の観点からも)
血縁という物質的な結びつき < 霊的な結びつき
「死後の世界での結びつきは結ばれたいという願望が大切な絆となるということ、そして地上では死後あっさりと消滅してしまう絆によって結ばれている家族がいるということを理解ください。もし家族の間に何か共通したものがあれば───たとえば自然な愛とか情とか友愛といったものがあれば、それによってつながっている絆は切れません」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.24/L1~4
「肉体的血縁関係が終わっても、永遠に消えることのない霊的親族関係というものが存在します。それは永遠に続きます。結びつける絆は物質ではなく霊です。物質は儚い存在ですが、霊は永遠です」
『シルバーバーチの霊訓(9)』P.202/LB1~P.203/2
⑧ 周囲の人間の死を、霊的視野から見る
死は解放の時、地上よりも美しく素晴らしい世界への旅立ちです。
しかし、多くの人にとって死は避けたいもの、人生最大の不幸・悲劇、忌むべきものとなって
います。
死を目前にした本人は、恐怖で不安におののいていますが、それは全くの誤解で幻影に怯えて
いているだけで哀れな状態です。
「死後の世界での結びつきは結ばれたいという願望が大切な絆となるということ、そして地上では死後あっさりと消滅してしまう絆によって結ばれている家族がいるということを理解ください。もし家族の間に何か共通したものがあれば───たとえば自然な愛とか情とか友愛といったものがあれば、それによってつながっている絆は切れません」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.24/L1~4
「肉体的血縁関係が終わっても、永遠に消えることのない霊的親族関係というものが存在します。それは永遠に続きます。結びつける絆は物質ではなく霊です。物質は儚い存在ですが、霊は永遠です」
『シルバーバーチの霊訓(9)』P.202/LB1~P.203/2
⑨ 苦しみや困難を、霊的視野から見る
・地上人生では苦しみや困難が次々におそってきます。
それは、神が地上が体験を通し霊的成長する場として創ったからです。
苦しい体験から教訓を得ることができれば、自分の糧とできます。
そのためにも、苦しみの意義と正しい受け止め方・対処の仕方を知っておくべきです。
「魂が鍛えられ、内在する無限の神性に目覚めて悟りを開くのは、苦難の中においてこそです。苦難の時こそあなたが真に生きている貴重な証です。夜明け前に暗黒があるように、魂が輝くには暗闇の体験がなくてはなりません。そんな時、大切なのはあくまでも自分の責務を忠実に、そして最善を尽くし、自分を見守ってくれる神の力に全幅の信頼を置くことです」
『シルバーバーチの霊訓(1)』 P.61/LB1~P.62/L4
「遭遇する問題の一つひとつを、あなたへの挑戦と受け止めないといけません。障害の一つひとつが挑戦なのです。ハンディキャップの一つひとつが挑戦なのです。地上世界では挑戦すべき課題が次から次へと絶え間なく生じます。しかし、いかに強烈でも、いかに強大でも、あなたの進化を妨げるほどのものは絶対に生じません。大切なのはそれにどう対処するか─その心の姿勢です」 『新たなる啓示』 P.75/L1~L5
➉ 寂しさや孤独を、霊的視野から見る
“自分は誰からも愛されていない”と思い寂しさや孤独を感じることは、間違いです。
常に寄り添い、行いだけでなく心に思うこと(良い思い・悪い思い)すべてを知っていなが
ら親や兄弟、友人などと比較にできないほど、深い愛で「神と守護霊」から愛されていま
す。それを忘れ、自分と同じ不完全な人間に愛を求めていたから、寂しさや孤独を感じるの
です。
「神と守護霊」の愛は、最高の利他愛です。
・・・・ 守護霊から与えられる霊的エネルギーは、心に平安と安らぎを持たらしてくれます。
守護霊に意識を向け自分から近づけば、より大きな影響を受けることができます。
「今の時代に最も必要なのは、簡単な基本的真理───墓場の向こうにも生活があること、人間は決して孤独な存在ではなく、見捨てられることもないこと、宇宙のすみずみまで大霊に愛の温もりをもつ慈悲深い力がいきわたっていて、一人一人に導きを与えていること、それだけです」
『スピリチュアル・メッセージ』P.139/L8~LB5
「霊の力は避難所であり、霊の愛は聖域であり、霊の叡知は安息所です。イザという時はそれを求めるがよろしい。人間の心には裏切られることがありますが、霊は決して裏切りません。たとえ目には見えなくても常に導きを怠ることなく、愛の手があなた方のまわりにあることを忘れないでください」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.114/L7~L10
⑪ 自分の死を、霊的視野から見る
魂の道具である肉体は、物理的な不便さと精神的には誘惑や肉体本能の欲望の葛藤という
苦しみ・苦悩を私たちに与えつづけてきました。
しかし、それを克服することで地上人生の目的である「霊的成長」を促すことになりまし
た。“死”は長く苦しかった物質世界と肉体との別れであり、美しく光あふれる霊界への旅立
ちです。喜び以外の何物でもありません。 また、先に亡くなった人たちが出迎えてくれる
再会の楽しみもあります。
もう、地上で自分を苦しめてきたものは霊界には存在しません。
待っているのは、喜びだけです。
「肉体にはいずれ死が訪れます。死によって霊が肉体から解放されるのです。その意味では、肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲劇とみますが、われわれ霊界の者にとっては少しも悲しむべきことではありません。霊界への誕生なのですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。煩わしい悩みごとから解放してくれるのです。特殊な例外を除いて、死は罰ではなく、報酬です。ですから死というものを、何としても食い止めねばならない悲劇と見ないで、魂が本来の自我を見出す為に仕組まれた、大自然の生命活動の一環と見るべきです」
『新たなる啓示』 P.136/L1~L7
・・・・・<感想>・・・・・
「霊的視野は常に霊主肉従の状態を維持する事でとても大切だと思いました。日々問題が起こったら、ああだめだなと長く引きずってしまう事があります。しかしこれは肉主霊従で、こういう経験をできてありがたいと感謝して霊主肉従に切り替えられるようになる事は大切だと改めて実感しました。霊主肉従の時間を少しでも多く持てるよう意識していきます。
次に自分自身を、霊的視野から見るが印象に残りました。人間は皆霊的成長を目的に生まれてきています。その中でもシルバーバーチの教えに巡り会える人はほんのわずかです。そのわずかな中に入った人にはスピリチュアリズム運動に貢献という目的があるの部分は心にじーんときました。なかなか人に話はできませんが、スピリチュアリズム運動の一助になる意識を大切にしていきます。
そして、寂しさ・孤独を、霊的視野から見るも特に印象深く感じました。人は神と守護霊の深い愛を忘れ、自分と同じ不完全な人間に愛を求めている。その通りだと思いました。神や守護霊に愛と感謝の気持ちを忘れて利己的な思いで人を愛しても安らぎを得られないのは当然だと思います。
私も神や守護霊を忘れて、孤独に陥る事があるのでそんな時こそ、神や守護霊にありがとうと言うようにしようと思いました。」(30代男性)
「今回は霊的視野について学びました。霊的視野は様々な角度から地上世界を視ることですが、11項目に分けての説明を聞きました。霊界から地上を視ると、多くの人間は物欲を満たす為に同胞のことはどうなろうが構わず、動物たちの命をも罪の意識なく奪っています。世間では、人が死ぬと悲しみます。私もそうでしたので、シルバーバーチの言葉を知った時は戸惑いました。(亡くなった人を悲しむのは、一種の自己憐憫の情です)もちろん死んだ人への愛情もありますが、自分自身への哀れみも大きいと思いました。苦しみや困難はその最中では有りがたく無いもので避けたいものですが、それは成長のチャンスを与えられたことだと思い対処していこうと再認識できました。」(50代男性)
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