スピリチュアリズム人生
1)霊的真理との出会いと“スピリチュアリズム人生”の出発
①霊的真理との出会いは、最高の恩恵にあずかったと同時に霊的成長の出発点に立った
②霊的知識を一生懸命学んでも実践が伴わないのは、霊的宝をドブに捨てるようなもの
「霊的真理についての知識を初めて手に入れた時、それは目も眩まんばかりの啓示として映ります。それまでの真っ暗闇の混乱、わけの分らなかった世界がぱっと明るく照らし出される思いがします。が、その新しい理解がいかに大きいものであっても、やがて納まるべきところに納まり、その人の在庫品の一つとなっていきます。(中略)
この交霊会での知識は週に一度わずか一時間あまりの間だけの知識として取っておいていただいては困ります。皆さんの日々の生活の中で使用していただかないと困ります。その霊的な価値は工場において、仕事場において、事務所において、商いにおいて、専門職において、天職において、奉仕的仕事において、家庭内において、その絶対的基盤としなければなりません。あなた方の生活のすべての行為における光り輝く指標とならなければなりません。それが知識というものの存在価値なのです」
『シルバーバーチの霊訓(3)』P.40/LB2~P.42/L3
2)高級霊訓はスピリチュアリズム人生の手引書
①高級霊訓はあくまでも霊的成長の道しるべ・手引書
「スピリチュアリズムの真理は、大霊が意図された霊的存在としての本当の生き方を体得する道への指標です。本来人間は、内在する気高い能力を発揮し、自分より恵まれていない人たちのために役立つことをし、和平をもたらすための基盤をこしらえる手段を教え、神性を宿した霊的存在として恥辱ともいうべき環境のもとで暮らしている人々に、本来の生き方を教えてあげることができるのです」
『新たなる啓示』P.147/L10~P.147/LB2
②霊的成長は霊的真理の実践を通してもたらされる
「知識は使うためにあるのです。その知識のお陰で視野が広がらなくてはいけません。理解力が増さなくてはいけません。洞察力、同情心、寛容心、善意がいっそう大きくならなくてはいけません。せっかく知識を手にしながら、それをある限られた特別の機会のために取っておくことは許されません。それは人生のあらゆる側面における考えを改めるために使用されるべきものです。皆さんがこれまでに学び、観察し、体験してきたことに幾ばくかでも真理があったとすれば───もし学んできたことが霊的な価値を有するものであれば、その価値はそれを実際に使用し実生活に適用することによって少しでも多くの霊的自我を発揮させることで生かせるのです」 『シルバーバーチの霊訓(3)』(潮文社)P.41/L2~P.41/L10
3)スピリチュアリズム人生とは“霊的人生”のこと
(地上にいながら霊界人に近い歩みをすること)
①「霊的真理」を忠実に実践する生活のこと
②「神の摂理」に一致し、宇宙・自然界と調和しようとする努力のプロセス
「明日のことを思い煩ってはなりません。将来を決めるのは霊的真理の意義をどこまで実生活に生かすかということです。霊的真理に従って生きるようにならないかぎり、本当の平和も調和も善意も、そして霊的・精神的・物的な恩恵も、手にすることはできません。そこに、われわれが携わっているこの仕事の重大性があるのです」『新たなる啓示』P.99/L3~L7
【霊的真理の実践が、スピリチュアリストの真偽を決定】
1)スピリチュアリストとしての資格 ---- 「霊的真理」にそった実践的生き方
①霊的真理は、日常生活をどう過ごすべきかを教えている
「もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです」『シルバーバーチの霊訓(1)』P.52
②実生活において霊的真理をどう活かしているかが大切
「大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の“生活”そのものです」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.52
「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです」『霊的新時代の到来』 P.152
「要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は、ないよりはあるに越したことはありません。が、その人の真価は毎日をどう生きたかに尽きます」 『シルバーバーチは語る』P.219
③霊界から認められるかどうかは、日々の生活の中で実践を心がけているかどうか
④霊的真理を手にしながら、知的好奇心の満足で終わっている人は認められない
「獲得した知識は着実に実生活に生かしていくように心がけましょう。その知識全体に行きわたる霊的理念に沿って生活を律していきましょう。人間の勝手な考えや言葉や行為によって色づけせず、その理念に忠実に生き、その行為を見た全ての人からなるほど神のメッセンジャー(使者)であり霊界からの朗報の運搬人であると認めてもらえるようになりましょう。そう努力することがまた、より大きな叡智、より大きな愛を受けるに相応しい資質を身につけることになり、また宇宙間の全生命の宿命を担いつつ一切を懐に包んでいるところの、その驚異的な霊力とのいっそうの緊密なつながりを得ることになるのです」
『シルバーバーチの霊訓(2)』 P.26/L5~L11
2)口先だけ・言葉だけのスピリチュアリストにはならない ---- 徹底した実践主義者
①実践の伴わないスピリチュアリズム人生(霊的人生)は存在しない
②自らは実践しないのに、真理を語り愛の重要性を説く人はスピリチュアリズムから最も
遠い生き方
③世間から“素晴らしい人間・愛のある人間”と見られるようになるのは簡単なこと
「この真理があなたの生活を支配しはじめた時、それに伴う内的静寂と冷静さが生まれ、日常生活の一つひとつに正しい認識を持つことができるようになります。あほらしく思えていい加減に処理したり、義務を怠るようになると言っているのではありません。私が申し上げたいのは、そうした知識を手にした人でも、ややもすると日常生活の基盤である霊的真相を忘れてしまいがちであるということです」
『シルバーバーチの霊訓(1)』P.76/L3~L7
3)実践の努力なくして価値あるものを手にすることはできない --- 真摯な努力主義者であるべき
①真理の実践は、奮闘努力なくしてはできない
②苦しみつつ実践の努力に励む者だけが本当の宝を手にすることができる
「価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。容易にもらえるものはもらう価値はないことになります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです」『シルバーバーチの霊訓(1)』P.71
「魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬なのです」 『シルバーバーチの霊訓(1)』P.52
「霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません」『シルバーバーチの霊訓(1)』 P.148/L4~L6
「世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生をうけた、そもそもの意義があるのです」『新たなる啓示』 P.134/L2~L5
4)スピリチュアリズム運動を阻害するもの --- スピリチュアリズム内部の敵
①スピリチュアリズムが世界中に広まっていくにともない、問題となるのが不純なスピリチュアリスト
「率直に申し上げて、スピリチュアリズムの最大の敵は、外部ではなく内部にいる――つまり、生半可な知識ですべてを悟ったつもりでいる人たちが、往々にして最大の障害となっているように見受けられます。悲しいことに、見栄と高慢という煩悩が害毒を及ぼしているのです」 『新たなる啓示』P.46
②内部の敵の本音は”傲慢さ”と”自己顕示欲”
「残念ながら地上においては往々にして原理・原則よりも個人的な考えが優先されます。立派な仕事にたずさわっているものの、時が経つにつれて初心を忘れ、一身上のことばかり考えるようになります。人間の煩悩の一つです。それは、つまるところ霊的理解力の欠如から生まれております。献身的に取り組んではいるものの、それは自分の思うように進んでいるかぎりの話です。自分の考えが正しいと思うのは良いとして、それが最高でそれしかないと自惚れはじめます。これが、地上で同じ仕事にたずさわっていて、こちらへ来てからもその成就のために援助している霊を困らせる問題の一つなのです。(中略)スピリチュアリズムと呼ばれている思想運動においても、自己顕示欲が強い人がいて、とかく自惚れが原因となって衝突が起きていませんか? 私は善のための努力は絶対に無駄にされないと申し上げます。闘いはかならず勝利をおさめます。なぜならば背後に控える霊力は、それくらいのことでは押し止められないほど強大だからです。いかなる抵抗に遭ってもかならず退却せしめます」 『シルバーバーチの霊訓(8)』P.213/LB3~P.214/LB2
③内部の敵の大きな罪
「あなたは本当に恵まれた方です。(中略)霊力の強さと恵みと美しさがいかに貴重なものであるかがお分かりです。無限という言葉通り、限りというものがありません。それを私は大霊と呼んでいます。ゴッドと呼ぶ人もいます。愛と知識と叡知とインスピレーションの大始源です。その一部がつねにあなた方のまわりに存在します。 そうなると当然、それを利用したり広めたりする上において、そこに不純な思惑がからんではいけないということになります。純粋で、最高で、至聖なる形で扱われねばならないのです。そうとは知らずに行なっている人はまだしも、問題は、中途半端な理解で終わっている人たちです。根本原理をよく理解せずに、自己顕示欲に動かされ、混乱と迷惑のタネをまき散らします」 『新たなる啓示』P.145/LB1~P.148/L10
④真理に忠実な実践者に対する攻撃
⑤霊界(高級霊)の意向にそえない未熟なスピリチュアリスト
「 私たちが働きかけているのは、そうした(人間本来の生き方を教えてあげる)目的の成就のための道具となって、いつでもどこでも人に役立つことのできる人々です。それを邪魔だてする人は、いつかは辛い思いをさせられることになります。一度真理を知った人の場合は尚更のことです。遅かれ早かれ、そういう人は神の計画から排除されます。神の計画は何としても推進しなければならないものだからです」
『新たなる啓示』P.147/LB1~P.148/L4
http://www5a.biglobe.ne.jp/~spk/about_sp/sp-thought3/sp-thought3-1/index.htm
《感想》
「霊的成長が実践を通してもたらされるの部分が印象的でした。その部分の説明の所で視野や理解力を高める大切さが言われていて高めるためには実践が大切と強く思いました。目の前の仕事をきちんとする、人の役に立つ事を少しでも多くして清い心の時間を増やしていきます。
そして実践の大切さはスピリチュアリストの真偽を決定の部分で強調されていると感じました。シルバーバーチを知らないけど、行いの良い人のほうが真理を知って実践できていない人より立派なスピリチュアリストの部分はとても説得力があり私自身聞いてどきっとしました。今人間として過ごしている事は貴重な修行をしている。この事を肝に銘じて1日1日を感謝の心を持って良い行いを少しでも多くしていこうと思いました。」
(30代男性)
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