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地上人生における霊的真理の実践

霊的真理は霊界側の辛抱強い忍耐と努力によって地上にもたらされました。

その霊的真理を、受け取った人間一人ひとりがどのように活かすのか、どう活用するのかは本人の自由意志に任され本人の責任となります。

今一度、出会うことのできた霊的真理とどう向き合うのかを考えていきます。

<地上人生における霊的真理の実践>

(1)スピリチュアリズム的生き方

偶然と思いがちのスピリチュアリズムとの出会いですが、背後の強力な導きがあって今こうして霊的真理について考えることになりました。

霊的真理を知ったあとは、自身の自由意志と責任によって人生を選択していことになります。

それは、霊的真理の教える「最高の目標・正しい方向」に向けて歩みだそうとするのか、 真理は知識として仕舞い込み今まで通りの生活を続けるのかといったことを自らが決めなけれいけません。

本人の意思に任されています。

では、霊的真理が示す「最高の目標・正しい方向」であるスピリチュアリズム的な生き方とはどんな生き方なのでしょうか。

1)スピリチュアリズムは徹底した実践主義、努力主義

  -----スピリチュアリズムとは、霊的真理を日常生活で実践すること


スピリチュアリズムの霊的真理は、すべて実践にための指針です。実行されることを前提になっています。

実行や実践を伴わない霊的真理は“宝の持ち腐れ”です。

知的好奇心の対象(知識の収集)や、信じれば救われるといった宗教ではありません。

「霊的真理は単なる知識として記憶しているというだけでは理解したことになりません。実生活の場で真剣に体験して、初めてそれを理解するための魂の準備が出来上がります」

『シルバーバーチの霊訓』(1)P.63/11~13

「知識には必ず責任が伴うことも忘れてはなりません。知った以上は、知らなかった時のあなたとは違うからです。知っていながら霊力を無視した生き方をする人は、知らないために霊的真理にもとる生き方をする人よりも大きな罪を犯していることになります」  『『シルバーバーチの霊訓』(5)P56/1~3

 同じ摂理違反でも、悪いとわかりつつ摂理違反を犯す真理を知った者の方が罪が大きいのです。知識を得たと同時に責任を負ったからです。

なぜ、シルバーバーチは実践の重要性を強調するのか……

 それは日常生活の中での真理の実践を通して霊的成長するようになっているからです。

 実践なくし霊的成長はない のです。

 2)スピリチュアリズムは完璧な自己責任主義、自力救済主義

すべての行為、すべての出来事、すべてのもの(宇宙や地球・全人類・すべての生命物)は、摂理に完全管理支配されています。その完璧な摂理の中で存在する私たち人間は、摂理違反をすれば自動的に「因果律の法則」によって苦しみが発生します。

その苦しみを地上の何ものも取り除いてくれないとわかった時、霊的に無知な人は神仏にすがり祈ります。

普段信仰心を持たない人でさえ、「この苦しみを取り除いて下さい」「不運な私を神様助けて下さい」と、苦しい時の神頼みをします。自分を現状から救ってほしいと願います。

地上の宗教のほとんどが、信じれば救われる、神や高級霊が苦しむ人間を救ってくれる(救世主が現れる)、威厳をもった教祖や宗教者が神と人間の間を取持ち罪を許し救ってくれるなどと説いています。

これは、他力救済です。

一方、霊的真理はあくまでも自己責任・自力救済を説きます。



・因果律の法則に基づく悪い結果は、すべて本人が引き起こした結果

自分自身の行為の結果は、それ相応の苦しみや困難となって自分が受け取ることになります。

その結果は自分の責任において償いをしなければならないというのが「因果律の法則」です。

神仏にすがって救いを求めて罪を許してもらうことはできません。

摂理違反の結果の苦しみに対しどう対処するのか、苦しみがカルマ清算のチャンスとし向き合うのか、ただただ嫌な事と受け止め何とか逃れようとジタバタするのか、最終的に本人が決めることです。

「その人は自由意志で、善ではなく悪をなす道を選んだのです。悪行が招いた結果から逃れることはできません。間違いは正さなければなりません。告白によって罪を消し去ることができると思うのは、自分に対するごまかしにすぎないのです。蒔いた種は自分で刈取らなければなりません。それが神の摂理なのです」

『シルバーバーチの教え』(下)P132/LB1~P133/3


「”自分が蒔いた種は自分が刈取る”----あなた方は、この摂理から逃れることはできません。神をごまかすことはできないのです」『シルバーバーチの教え』(下)P132/1~2


「あなたの行為が招いた結果を代わりに背負ってあげられる人はいません。あなたのすること考えることの一つ一つにあなた自身責任を取らねばなりません」『シルバーバーチの霊訓(11)』P90/8~10


「私たちがあなたに代わって救ってあげるわけにはまいりません。自分で自分を救うのです。その手段をどう活用するかは、その人の自由に任されております」『シルバーバーチの霊訓(10)』P148/5~6


「一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任をとるわけにはまいりません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。それを因果律というのです。過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする───霊的法則がそうなっているのです(中略)あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。その行為の結果を自分が引き受けるのです。これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対す る償いをすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです」

『シルバーバーチの霊訓(9)』P63/1~P64/3

すべて自分の責任において「自分で自分を救う」以外ないということです。

スピリチュアリズムは完璧な自己責任主義、自力救済主義なのです。


3)霊的真理を日常で実践して霊的成長する

真理は学習し暗記するだけではただの思想、哲学の一つにとどまります。学術的研究や心霊現象の研究では霊的成長はできません。あえて制約の多い不自由な物質世界で真理の実践をすることは、忍耐や努力・自分の内面との葛藤などを体験することで魂が磨かれ霊的成長できるからです。そのための地上生活なのです。

「世界中の図書館の本を全部読んでも、それだけでは進歩は得られません。それを体験によって強化しないといけません。つまり霊的成長が得られるか否かは、人生体験にどう対応するかに掛かっています。そこに、地上に生をうけた、そもそもの意義があるのです」 『新たなる啓示』 P.134/L2~L5


では、実践とは…具体的に

4)具体的な実践内容とは

①「霊主肉従の努力」(霊優位の努力)

  本能的な欲望をできるだけ抑え、(衣食住の最低限の物欲と快楽)霊的な意識を持つ努力をする

  自分は肉体を持った霊という自覚のもと、自分自身の存在と生活を霊中心に心がける

②「利他愛の実践」(利他的行為・無償の奉仕)

  「他人のために自分を役立てる」これこそが宗教だとシルバーバーチは何度も言っています。

 儀式・儀礼・法衣・教義を重んじることよりも大切で、宗教の本来のあり方です。

③「苦しみの甘受」(因果律の法則によるカルマの清算)

 地上人生で体験する苦しみや困難を、カルマの清算と霊的成長の道が促される有難いものだと受け止めることです。決して苦しみから逃れようとせず前向きに受け止め対処していくことが大切です。

死後にも続く永遠の生命や蒔いた種の刈り取りなど霊的な正しい知識がなければ、前向きに対処していくことは難しいです。苦しみ困難に立ち向かう支えとなるためにも、真理の正しい理解は必要です。 

④「霊的真理の伝道」(霊的真理を一人でも多くの人に伝える)

②の利他愛の実践に含まれますが、「霊的真理の伝道」は特別なものです。

物質的な援助や今まさに餓死寸前の人や戦争で生活基盤をなくした人たちへの人道的支援は大切な利他愛の実践ですが、それはあくまでも地上的・物質的な救いです。

霊的真理を伝えることは真の救いであり、地上界だけでなく霊界でも通じる永遠の救いです。

それは、霊的真理を正しく理解できたスピリチュアリストだけができる利他愛の実践です。 

自分自身が霊的真理によって救われてきた背後には霊界の高級霊の純粋な利他愛がありました。

今度はその恩恵をうけたスピリチュアリストが他の人に霊的真理を伝え霊的な救いを広めていく事が最高の利他愛の実践になります。


「精神的にも霊的にも自己を厳しく修養し、生活のすべての側面を折目正しく規制し、自分は本来は霊であるという意識をもって、行動のすべてに霊の優位性を反映させなさい。霊の優位性の自覚にもとづく修養的生活――これが最高の生き方です。既成のテキストはいりません。魂の成長ということだけを心がければいいのです」『最高の福音』 P.243/L7~LB3


「愛とは摂理のことです。神の御心です。なぜなら、神そのものがすなわち愛だからです。したがって神の御心に適った生き方をしていれば、それは愛を表現していることになります。私のいう〝愛〟とは慈悲の心、奉仕の精神、犠牲的精神、要するに自分より恵まれない者のために自分の能力の範囲内で精いっぱい援助しようとする心を言います。自分のことをかえりみず、助けを必要とする人のために出来るかぎりのことをしてあげようとする心、それが愛なのです」『シルバーバーチの霊訓』(8)P126/LB3~P127/3


「苦しみの要素も摂理の一環です。いわれのない苦しみを被(こうむ)っていると思っている人も、やはり過去において何らかの形で摂理に反したことをしているからこそ、今のその苦しみがあるのです。それが因果律というものです。苦しみを味わってこそ摂理がわかるのです」『最高の福音』P46/LB4~LB1


「問題は、人間の多くが、自分が今置かれている境遇に不満をかこつばかりで、過去の生活を冷静に振り返り、不満に思える現在の境遇から一歩離れて冷静に反省すれば、この世はすべて闇だ、イヤなことばかりだと思えたその時期こそ、霊的に最も大きく成長していたことが分かるということを、なかなか悟ってくれないことです」 『最高の福音』P51/5~8

「この道は、他にその恩恵を知る縁(よすが)のない人々に霊力と光明と癒やしをもたらせることになる、雄大な霊的冒険です。宇宙最大の力の道具として働くことは大へん光栄なことです。大霊より強大な力はこの宇宙には存在しません」『シルバーバーチの霊訓』(9)P.88/10~LB4

「あなた方が個人として為しうることは、どこにいても霊的知識を普及することです。あなたのほかに一人だけでも光と真理をもたせてあげることが出来たら、それだけであなたの地上人生は無駄でなかったことになります」シルバーバーチの霊訓』(9)P.123/LB4~LB2


「基本的な真理にしがみついてさえいれば、道を誤ることはありません。霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります」『最高の福音』P.60/LB5~P.61/3


こうした実践によって霊的成長していきますが、まさに霊的真理の実践は【言うは易し行うは難し】です。

真摯に取り組めば取り組むほど、一見簡単なようで高い理想だと実感します。自信をなくしたり、絶望したり疲れ果ててしまう結果になります。しかし「努力なくしては本物の霊的宝は得られない」とシルバーバーチは繰り返し言います。

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