top of page

理想追求と現実の壁

《理想追求と現実の壁》

地上にあって霊界にないものは何でしょうか……。

それは物質です。私たち人間の肉体も物質でできています。肉体本能が利己心を発生します。

ではなぜ神は肉体を与えたのでしょうか。それは、地上で霊優位の努力・霊主肉従の闘いを体験させるためです。霊的成長に必要なプロセスだからです。

霊優位の努力・霊主肉従の闘いを通して霊的力と精神力が鍛えられ、同時に霊的成長への思い・志向性が強化されていきます。

1)完璧な歩みができない地上人と、高級霊が示す高いハードル

霊的真理の実践が難しい理由は、肉体を持つからです。

地上人は霊の心と肉の心の2つも持っています。霊の心は利他の方向を目指そうとし、肉の心は反対に自分を最優先させようとする本能が働き利己の方向を目指そうとします。

霊的真理は、肉の心からすればできるなら避けたい・嫌だなと思うことを実践させるようになっています。 

霊的真理を知る人の中にも、そこまで実践するのは無理かもと怖気づいたり、できそうにないことを言ってる理想論と思う人もいます。

たしかに、高級霊はその難しさや困難を承知しています。肉体をまとった今の地上の人間が理想通りにできないことは十分わかっている上で霊的真理を説くのです。


「わたしたちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしもわたしたちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです」『道しるべ』P.132/7~10


2)常に高い目標に向かって努力することが大切 

心の癒しやありのままの自分を受け入れるといったことが一時ブームになりました。これは悲惨な体験やむごい仕打ちにあい心に傷を負ったような人には一時的に必要ですが、それ以外では自分を甘やかすことになります。なぜなら、そこには霊的成長がないからです。

高い目標を目指せば、当然、内面的な苦しみや葛藤が生じますが、霊的成長をなすためには苦しみや葛藤は不可欠なのです。 「自分自身に厳しくなければ、霊的成長は望めない」のです。

自分に対する厳しさがなければ、本当の愛(利他愛)の持ち主になるはできません。自分の思いどおりにならない相手に出会えば、たちまち吹っ飛んでしまうような上辺だけの愛しか持てません。

人の痛みが想像でき慈悲の心が生まれるのは、自分自身が苦しみや葛藤を経験してきたからこそです。

苦しみや葛藤の中で、自分に対する甘さを克服していく努力が必要なのです。

「不可能なことです。が、努力することはできます。努力することそのことが性格の形成に役立つのです」 『シルバーバーチの霊訓』(5)P.191/1~2


「完全であるように努力しなさいと言っているのです。それが地上生活で目指すべき最高の理想なのです」 『シルバーバーチの霊訓』(5)P.191/8~9


とはいえ、やはり現実は真理の説く理想にはなかなか辿りつけません。

 肉体本能に逆らえず自分はなんて意志が弱いんだろうと思ったり、利他愛の大切さは理解できるが虫の好かない人や気の合わない人にどうして優しくできないのだろうなどと、自分自身に絶望することもあります。が、自分を卑下する必要はありません。

3)自分自身に対する絶望と、闘いの連続

真理を知ったからといって、苦労もなく一直線に霊的成長の道を進めるわけではありません。

「霊優位の努力を通し霊的成長のために肉体を持ち地上に誕生した」ということを忘れないで、挫けず何度もトライすることが大切なのです。

「進化というのは一種の円運動(サイクル)、現代の思想家の言葉を借りれば螺旋(スパイラル)を画きながら進むものだからです。どちらの言い方でも構いません。要は進化というものが常に一直線に進むものではないことを理解していただけばよろしい。一歩進んでは後退し、二歩進んでは後退し、ということを繰り返しながら延々と続くのです」『シルバーバーチの霊訓』(5)P.99/7~LB2


「霊に関わる分野において進歩が容易に得られることは有り得ません。もし容易であれば成就する価値がないことになります。霊的進化はもっとも成就しがたいものです。一歩一歩の向上が鍛錬と努力と献身と自己滅却と忠誠心によってようやく克ち得られるものだからです。霊的褒賞を手に入れるには奮闘努力がいるのです。もしも簡単に手に入るものであれば価値は無いことになります。価値が出るのは入手が困難だからです」『シルバーバーチの霊訓』(4)P.90/3~7


後退しているように思えても、努力していれば確実に向上=霊的成長しています。

大切なのはあきらめないことです。

4)地上は失敗から学びながら霊的成長の道を歩む所

物質界での体験を通しまだまだ学ぶことがあるから、今この地上にいます。それはまだまだ未熟ということです。そして、そもそもこの地上世界は基本的な霊的成長をする場所として創られました。

未熟ゆえ失敗をします。その痛い思いの中で何が間違っていたのか教訓を学ぶようになっています。一度の体験で学べないこともあります。何度も繰返し学ぶ場所が地上世界です。

地上は失敗から学ぶ場所で、何度失敗しても挫けず諦めずチャレンジすることで少しづつ向上していきます。

また、忍耐強く自己コントロールの努力を継続していく中で霊優位の時間を増やすことにもなります。

「あなたは人間である以上いろいろと間違いを犯します。弱点をお持ちです。長所ばかりではありません。人間味の本質は欠点があるということなのです。だからこそ地上へ来ているのです」

『シルバーバーチの霊訓』(11)P.17/8~10


「あなたはあなた自身の行為に責任を取るのです。その行為の結果を自分が引き受けるのです。これからもあなたは過ちを犯します。そしてそれに対する償いをすることになります。そうした営みの中で叡智を学んでいくべきなのです。過ちを犯すために地上へ来たようなものです。もしも絶対に過ちを犯さない完全な人間だったら、今この地上にいらっしゃらないはずです」『シルバーバーチの霊訓』(9)P.63/LB2~P.64/2

「地球は学習のために通う“学校”です。その学習は、比較対象の体験による以外には有り得ません。日向と陰、嵐と凪、愛と憎しみ、善と悪、健康と病気、楽しみと苦しみといった、相反する体験を通して学習していくのです。相対的体験と、その中での試行錯誤の努力を通して、魂が磨かれていくのです」

『霊的新時代の到来』 P.25/LB4~LB1


失敗は誰しもがするものです。 その失敗を学びの材料・教訓にしていくことが霊的成長につながります。

間違いや失敗をクヨクヨしても仕方ありません。自動的に因果律の法則が働き自身がその結果を受け止めるしかありません。

逆にそれは取返しのつかないことはないということです。どんなに重い罪であってもそれ相応の結果が自動的に発生し、それを本人が受け取ります。何十年何百年かかろうがその償いをすることになります。どれほど気の遠くなる時間がかかろうともいつかは償いは終わります。永遠に消えない罪はないということです。

「過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯しそれから学ぶために地上へやって来たようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです」『シルバーバーチの霊訓』(9)P.193/LB4~LB2


霊的真理の実践という肉体本能にあらがう努力は、霊的知識がなければ自らしようとは思わないことです。

多くの人は地上的幸福や物質的幸福を求める惰性的な流される人生になってしまいます。

改めて霊的知識を持つことの重大さがわかります。

霊的視点で物事を見ることで、自分の人生に対する向き合い方が変わります。


せっかく手にした霊的真理を、この地上人生で活用しなければ無駄になります。

肉体の死をむかえ霊界へ帰った時、この地上人生を振り返りどんなことを思うのでしょうか…


最後に、

「私たちがみなさんの前に掲げる理想がひじょうに到達困難なものが多いことは私も承知しております。私たちの要求することのすべてを実現するのは容易ではありません。が、最大の富は往々にして困難の末に得られるものです。それには大変な奮闘努力が要求されます。が、それを私があえて要求するのはそれだけの価値があるからです」『シルバーバーチの霊訓』(7)P.75/5~LB4


《感想》

因果律の法則を説く「”自分が蒔いた種は自分が刈り取る”ーーーあなた方は、この摂理から逃れることはできません。神をごまかすことはできないのです」というシルバーバーチのこの言葉は大好きな言葉の一つです。 スピリチュアリズムは自己責任と自力救済主義であり厳しくも感じます。 一方、他の既成宗教のような他力救済は、罪の告白で許しを請うことですべての過ちを帳消にできることを謳っていて、甘さを感じます。 どちらかの選択は自由意思で決めるわけですが、一般的に後者が大多数であるのが現実です。 霊的真理の実践では、利他愛の内容は大きく分けて物質的支援と霊的支援があり、その違いを学びました。 この世的な奉仕も勿論必要なことですが、人間の生き方と死んで霊界に入ってからも役にたつ霊的支援「霊的真理の伝道」こそが先に知識を知った者の努めで、まだ知らない人びとに手渡していく責任がある。 地上へ生まれて来るのは、前世のカルマの精算と霊的成長をすることが目的であり、人生において間違いや失敗を克服しようとする努力の行為が学びとなって成長に繋がるので、結果を恐れてはいけない。 地上人生は過ちと償いの繰り返しで螺旋を書きながら上昇しており、ふと振り向いた時に少し階段を上がっていることに気が付く。これだといいんですが。 スピリチュアリストとしては理想は高く持ち、努力していかなければならないと思いました。 今回の読書会は私的な理由で半年ぶりの参加になりました。 コロナの影響もあり、前回、前々回はオンライン読書会で学ばせてもらいましたが、やはり会場で学びはその雰囲気と空気が違いますね。久しぶりにエネルギーを充電してもらい、とても心が満たされた心地好い気持ちになれました。(50代男性)



Comments


最新記事
アーカイブ
タグから検索
bottom of page