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罪と罰(運命について)

《人間の運命について》

(1)因果律の法則に基づく「罪と罰」

・“罪”とは ------ 完璧な摂理に反した行為

具体的には、「物質や本能に支配されてしまうこと」(肉主霊従)

                 「利己的な行為をすること」(利己主義)

・“罰”とは ------ 摂理に反した行為には、必ず何らかの悪い結果が自動的に発生する

    それは寸分の狂いもなく機械的正確さをもって発生する

・“罪と罰”は ------ 「原因と結果の法則」であり、この法則から逃げられる人間は誰一人いない

    摂理に反した行為(罪)に対しては、“罰”としての苦しみが必ず発生する

・“罰”としての苦しみは「罪の償い」のために必要なもの

  「罪の償い」をしなければ霊的成長の道を歩むことができない

地上世界では、罪を犯しても言い訳や言い逃れして逃げおおせたり誤魔化して罰せられるずに終わることがあります。それは、人間が作った法律に間違いや盲点があり完璧ではないからです。

 しかし、地上世界で罰せられずに済んだ罪も霊界をも含めた視点で見れば、罪(摂理違反)に対して必ず罰(苦しみ)が発生します。

罪に対し罰っせられないことを逃げ得という言い方をすることもあります。

罰としての苦しみは、霊的視点で見れば「罪の償い」に不可欠なプロセスです。

「罪の償い」はやり直しのチャンスなのです。

「私たちは因果律という絶対的な摂理を説きます。つまり誰一人として神の摂理のウラをかくことはできません。ごまかすことはできません。自分が自分の救い主であり、贖い主であり、自分の過ちには自分が罰を受け、善行に対する報酬も自分が受けると説くのです。  また、神の摂理は機械的に機能し、自動的に作用すると説きます。すなわち、親切・寛容・同情・奉仕の行為が自動的に、それ相応の結果をもたらして霊性を高め、反対に利己主義・罪悪・不寛容の精神は自動的に霊性を下げます。この法則は変えようにも変えられないのです。みっともない執行猶予も、安価な赦免もありません」

『スピリチュアル・メッセージ』P.143/9~LB1

多くの人は苦しみや苦難を不運や不幸と思いますが、「原因と結果の法則(因果律の法則)」という霊的視点で見れば、霊的成長にとっては必要でやり直しのチャンスであり、有難いものということがわかります。

霊的真理を知らない人でも、困難を乗り越える経験は自分の精神を強くする良いものと捉えられる精神力の強い人もいますが、苦しみの真の有難さはわかりません。

霊的真理を知ってこそ真の有難さが理解できます。

では次に、「罪の償い」である苦しみがどのように発生するのかを見ていきます。

(2)地上への再生と運命の決定

・死後の世界での後悔と苦しみ

   小さな摂理違反・・・・地上生活中に苦しみとなって体験する

   大きな摂理違反・・・・死後霊界へ行ってから「本格的な償い」が始まる

地上での行為に見合った結果(罰)は必ず発生します。

この地上人生の間では償いきれない罪を犯した場合は、霊界において罰が発生します。

霊界での罰(償い)とは、まず指導霊によって地上での悪行の数々を見せられるます。

地上では見たくないものは目をつむったり目を逸らしたりして見ないようにすることはできますが、霊界では 物質の目ではなく霊(心)の目で見るため、避けることはできません。

言い逃れできない証拠を見せつけられ突き付けられて、激しい良心の呵責や心の痛みや後悔や悔恨の念が芽生え始めます。逆に言えば芽生えるまで見せられるのです。

 後悔や悔恨の思いが芽生えたらその後、どうなるか…

・再生人生を自ら願い出る

  「罪の償い」のためにどのような苦しみが必要かも理解し、自らの意志で地上への再生を願い出る

 霊界で自分の間違いをはっきりと自覚するようになり、何が自分の霊的成長の妨げ(足かせ)になっているかも明確に理解できるようになります。

さらに、「罪の償い」のためにどのような苦しみが必要かも理解し、自らの意志で地上への再生を願い出るようになります。その願いが受入れられ地上へ再生してきます。

 再生人生では「因果律の法則」によって前世での「罪の償いの道」が 自動的に発生することになります。 

  ということは、再生人生において避けられない苦しみや困難があるということです。

・「運命」は生まれつき決定している

   自分自身が作った「罪(カルマ)の清算」とさらなる「霊的成長」を求めて自ら希望した

 再生前の霊界で自分から希望した「罪の償い」ですが、地上に誕生後霊的視点を無くした人間にとって、「罪の償い」の苦しみは決められているということになります。それを地上の人間は「運命」と呼んでいます。

しかし、それは神の一方的な意志や先祖の悪行によって決定されるものではありません。

・「宿命」としての再生人生の大枠と現実の人生行路

 「罪の償い」は再生人生の目的の一つで、そういう意味で人生の大枠は決められていることになります。

 しかしそれは本人の自由意志によって条件や状況が違ってきます。

「罪の償い」のための苦しみや困難は決まっていますが、厳格に決められてはいません。

再生後の地上生活の間に、自身の自由意志によって思考や態度や生き方を作り上げていきます。再生前にどうなるかは予測不可能です。

 条件や状況が複雑に異なってきますので、最も相応しい時期や条件で「運命(罪の償い)」が発生するようになっています。

細かい運命は決まってなく、必要な苦しみが必ずどこかで起こるということです。

地上へ誕生後、自由意志によって選択する幅がある分、決められた大枠と現実の人生との間にも幅ができるということです。 ここに、人間に与えられた <自由意志> が大きな意味を持ちます。

「地上に生を享ける時、地上で何を為すべきかは魂自身はちゃんと自覚しております。何にも知らずに誕生してくるのではありません。自分にとって必要な向上進化を促進するにはこういう環境でこういう身体に宿るのが最も効果的であると判断して、魂自らが選ぶのです。ただ、実際に肉体に宿ってしまうと、その肉体の鈍重さのために誕生前の自覚が魂の奥に潜んだまま、通常意識に上がって来ないだけの話です」 

『シルバーバーチの霊訓(1)』  P.38/L1~L5

「物質界に生まれ出るに際しては、大体において今回はこうしたいという確たる目的を心に決めております。が、いざ物的身体に宿ってしまうと、種々雑多なエネルギーの相互作用に巻き込まれます」

『最後の啓示』  P.176/L9~L11

(3)運命に対する正しい姿勢

・地上の苦しみは一瞬の出来事

 苦しみの体験を通して「罪の償い」がなされ、カルマが解消し霊的成長の道を歩むことができるようになります。この「罪の償い」の苦しみも実はわずかですが霊的成長ができます。 

また、苦しみの報いが霊界では待っています。

 しかも、地上での苦しみは霊界での永遠の時間と比較するとほんの束の間に過ぎません。

苦しみの本当の意味や霊界での報いを知れば苦しみに対する勇気が持て、堂々と立ち向かうことができます。

・すべては自己責任

 肉体を持つと誕生前の意識が失われます。自分で罪の償いを決めてきたという事実を忘れ、苦しみを避けたい、逃れたい、嫌なものと考えるようになります。

地上界では苦しみを避けたり、逃れられたら幸運と思いがちですが、霊的視点からみるとそれは大きなマイナスです。

 苦しみを避けられたと思っても、「罪の償い」は完了するまで何度でも苦しみが発生します。

結局はどこかの時点で「罪の償い」に向き合わないといけないようになっているのです。

 苦しみを正しく対処して霊的成長につなげられるか、無駄にあがいて遠回りをして苦しみを長引かせるかは、

 本人の自由意志と自己責任です。

では、具体的にどのような心構えや考え方をすればいいのか・・・

・苦しみに対する正しい心構えと考え方

 苦しみや試練が起こった時は、

「霊的視点に立って、永遠の観点から苦しみを甘受する」

苦しみの状況を、自分のカルマを解消し霊的成長の道をリセットしてくれる有難いものと考え神に感謝し前向きに受け止め、必ずその今の苦しみの終わりがあることを心に留め甘受しましょう。 

 苦しみの最中では、どうしても地上的意識しか持てなくなりますが、この物質世界に救いや安らぎを決して求めず、永遠の世界に思いを馳せて“霊的幸せ”を求めるようにしましょう。

霊的視点、霊的視野に立った心構えができるようになれば、どんなに辛いことも苦しみも、悲観的になることはありません。

「地上の人類はまだ痛みと苦しみ、困難と苦難の意義を理解しておりません。が、そうしたものすべてが霊的進化の道程で大切な役割を果たしているのです」

 『シルバーバーチの霊訓(4)』P.41/4~5

《 感 想 》

運命について霊的視点から学びました。 ・魂が前世のカルマの解消と更なる霊的成長をのぞみ再生人生を願い出て、自ら人生の大枠を決めてくること。

・再生に至るまでには原因と結果の法則及び因果律の法則に基づいた中での仕組みがあり、やり直しのチャンスであること。 ・再生して肉体に宿ってしまうと自らが計画してきた人生航路を忘れてしまい、肉主霊従(利己主義)と霊主肉従(利他愛)の格闘の中で生き、その行ないによって霊的成長が成されていくこと。 ・人生航路の舵は守護霊や背後霊の導きもありますがその決定権はすべて自分にあり、霊的成長は善きも悪くも自己責任であること。  地上の苦しみは永遠の中での一瞬の出来事であることを認識して甘受し堂々と立ち向かい、そして運命に対しても正しい姿勢で挑んで残りの人生を歩みたいと思います。

(50代男性)

最初に、罰としての苦しみは「罪の償い」のために必要の部分が響きました。

肉体を持って生きている以上、肉主霊従や利己主義に陥る事は避けられません。霊主肉従の時間を増やす上では素晴らしい機能と思いました。償いはやり直しのチャンスで、摂理違反の行為の結果、償いが必要になった時には全力で感謝したいと思いました。

 次に、大きな摂理違反をした場合には死後霊界に行ってから本格的な償いが始まり、その流れで再生人生を願い出るの部分が印象に残りました。霊界での決意は思い出す事はできませんが、カルマの清算につながる償いをする、霊的成長の意識を常に持つという事をしていきたいと思いました。

 そして、運命に対する正しい姿勢の部分では、全ては自己責任が印象に残りました。人のせいにしたくなる不運もたくさんあります。しかし、自分の行いが悪かったからこのような事が起こった、霊主肉従の意識を高めようと霊的成長できるよう鼓舞していこうと思いました。そして、苦しみから怯えて逃げないよう努めていきます。

 後の雑談ではスピリチュアリズム入門を思い出せてうれしかったです。あの本には大切な基礎が書かれています。そして読みやすいです。時々見る時間を作って、霊的成長の一助にしていきたいと思いました。

(30代男性)​

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